こんにちは。
あいかわらず風邪気味のふくです。
よく考えたら毎年この時期は風邪をひいているような気がしてきました。
さて。
小説らしきものを書いて公開しています。
…だんだん恥ずかしすぎてつらくなってきました(笑)
逃げられないように見切り発車で公開して、いったん公開したなら無理やりにでも物語を完結させようと思っていたのですが。
恥ずかしい。
こんなにも羞恥心を伴うとは思いませんでした。
また、自分の書きかたが下手なので、読んでくださっている方にうまく伝わってないんだろうなと反省しています。
というわけで。
自分の文章能力を補ったり言い訳するためにこのブログを書くことにしました。
この小説で伝えたいこと
わたし自身、発達障害者と診断されるまで、「変わった子」,「常識がない子」として生きてきました。
診断されてからもそのように見られることはありますが、「個性的だね(笑)」ということばを言われることが多くなりました。
いいことなのかどうか…
そんな日々のもやもやから、もしもわたしが障害者ではなく多数派だったらどんな感じなのかなと思い、ある種の思考実験のような形でこの小説を書いてみることにしました。
マイノリティとして生きることの大変さ
とにかく発達障害ではない方、自分が障害者かもしれないと考えたこともない方に、マイノリティ体験をしてもらいたかったです。
健常者の方が自分はマジョリティだと思っている限り、マイノリティ側がいくら生きづらさを主張したところではなしを聞いてもくれないんだろうなと思うからですね。
オリンピックとパラリンピックの盛り上がりかたに差があるのは、多数派は少数派には関心がないからかなと思ったりします。
発達障害者、特に成人後に発達障害だと診断された人は家族にもその苦しみを理解してもらえません。
たくさんの費用と労力をかけてやっと診断書や手帳を取得しても、「お前は障害者ではない。普通の人間だ。何甘えてんだ」と怒られてしまう当事者も少なくありません。
マジョリティは一種の権威だと思う
小説の序盤では少数派は「多数派と少しちがうというだけで生きづらい」ということを全力で表現したつもりです。
そのため、苦渋の決断をすることにしました。
この小説の世界では、言語性IQ優位発達障害者のわたしが、人口の90%を占めています。
なので、主人公は現代社会ではいわゆる「ふつうの人」でしょう。
わたしがマジョリティである世界ではいじめは起きるのか。
…ここは正直めちゃくちゃなやみました。
実ははじめはわたしがマジョリティの世界ではいじめは起きないと思いました。
まぁそうであってほしいですよね。
ですが今のわたしがいじめなんてしないと思うのは、いじめられてつらい経験をしたからではないかと思うようになりました。
わたしが「ふつうの人」の世界、つまりわたしのような人ばかりだったら、わたしとはちがう少数派の人をいじめてしまうかもしれないと思いました。
そんなこんなで第2話が誕生したわけです。
自分のことを悪く書くのはつらかったです。
ですがもしわたしが発達障害者ではなかったら、たぶん障害に関心もあまり持たなかっただろうし、誰かをいじめてたんじゃないかなと思ったりします。
健常者の方にもいじめっ子をかばったりするスーパーヒーローもいるので、実際のところはわからないですけどね。
反省点
いっぱいあります。
書ききれないほどあります。
ここでは数々の失敗の中でも大失敗だけを取り上げて、解説とか言い訳とかします(笑)
発達障害者のわたしには発達障害者ではない人をうまく描写できない…
最大の失敗はこれです。
「定型発達症候群」が発達障害の一種だと多くの方に誤解されているのではないかということですね。
ちがうんです…。
定型発達症候群とは
発達障害者の側から見た発達障害者ではない人(≒健常者)のこと。
ちょっとした冗談の側面もあります。
多数派である発達障害ではない人(定型発達者)から言われっぱなしなので、発達障害者側としてもじゃあ言わせてもらうけどさ…みたいな感じで生まれたことばでしょうか。
というわけで。
主人公は健常者です。
発達障害ではありません。
できる限り、わたしとは相反する性質をもつ人間として主人公を描写したつもりなのですが…
発達障害当事者にも誤解されているらしい…
おそらくわたしのような発達障害者が多数派の世界で、マイノリティとしての苦しみを味わう主人公に共感してくださったのでしょう。
そうであってほしい…
わたしはマイノリティの描写にはきっと成功したのでしょうね。
わたしの体験談をそのまま小説に採用したりしています。
そりゃあリアリティもあることでしょう。
実際にわたしが経験したことをそのまま書いているので。
ところが…
わたしは多数派として生きてきたことがありません。
わたしのいちばん古い記憶が保育園のクラスで自分だけハサミが使えず先生に迷惑をかけてしまったという3歳になる直前の出来事なので、物心ついたときから自分だけ何かがおかしいと思っていました。
なので発達障害ではない人がわたしのような発達障害者に囲まれて生きることになったときに、どんなことで困るのかをいまいち表現できませんでした…。
主人公の名前は…?
当初は5話くらいで終わらせる予定でした。
あんまり何も考えずに公開してしまったのです。
5話くらいまで書いてふと気づきました。
主人公の名前がない…
ですが主人公の名前をつけるとほかの登場人物の名前も考えないといけないなぁ…と思いつつ、この問題から目をそむけています。
発達障害者の人口比率が90%になってしまった経緯がややこしい…
これね…
最初は何も考えずに、わたしが多数派の世界だったら生きるのちょっとはしんどくなくなるかな…という思考実験のつもりで書きました。
ですが途中で…
なんで発達障害者のわたしが多数派の世界ができあがったんだろう…?
という疑問が頭をよぎりました。
一度疑問を抱くともうその疑問から逃れられなくなりました。
なんとかこの疑問にわたしなりに回答しなければ…と思いました。
地球が大変なことになりましたね…
ですが、わたしの完全オリジナルストーリーではありません。
1930年代から1940年代のナチスドイツで行われたT4作戦をもとに書きました。
話が少し逸れますが...
テーフィア作戦って読むんですね。
ティーフォー作戦だと思っていました。
ですがドイツですもんね、英語ではなくてドイツ語ですよね。
こんな悲しいことが二度と起きてほしくないなと思いながら小説を書いています。
ですが、相模原障害者施設殺傷事件が起こったときは、T4作戦の歴史が脳裏をよぎり、恐怖で震えあがりました。
優生思想は死んでないんですね...。
弁解やら補足やらをつらつらと書いてきました。
もう小説を書くのはこりごりです。
ですが、この小説はまだまだ続きます...。
今後は、主人公が本を読むという形で、2000年代から順に話を展開できたらいいなと思いつつも、もう恥ずかしいのでこの小説から逃れたいという気持ちもあります。
早く羞恥心から開放されたいです。
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