発達障害者ふくの徒然草

発達障害者であるふくの個人的な障害特性に伴う困り感やそれに対してどうアプローチして緩和させているかを徒然なるままに書き留めています。

小説『定型発達症候群』11

 

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500年以上前の世界…

つまり2000年代は、人口の90%以上の人間が定型発達症候群者だったってこと…?!

 

そんなの信じられない…!!

 

「そんな…定型発達症候群者ばかりの…障害者ばかりの世界…うまくいきっこないです…!!」

 

…この発言は少し差別的かもしれない。

でも、障害者ばかりの世界が成り立つとは到底思えなかった。

 

 

「わしらは定型発達症候群者と呼ばれているが、大多数の人間が定型発達症候群者だった2000年代は、彼ら、つまり今のわしらのような人間は障害者ではなかったんじゃよ」

 

 

番人さんの話によると、人口の90%以上が定型発達者の世界、つまり今から500年前の2000年代の世界では、定型発達者にとって快適な法律や社会システムが構築されていたという…

 

「左利きの人は右利きの人よりもストレスを抱えやすいらしいのう…。右利きの人間にとって便利な世の中になっておるから、当然左利きの人間には不便なこともあるだろう…」

 

 

500年前は、私たち定型発達症候群者が大多数の世界だったから、私たちは社会的マイノリティでも社会的弱者、ましてや障害者でもなんでもなかったということだろうか。

 

 

「少しはわかってくれたかのう?」

 

 

そっか…

じゃあ私は障害者でもなんでもないのか。

ただ、少数派なだけ。

多数者にとって快適な社会に合わないだけ。

 

…そう考えると、自分ばかり責めるのもちがうような気がしてきた。

 

 

あれも直さなくちゃ。

これもわたしの悪い癖だ。

こんなことしたら非常識だ。

失礼なことばかりしている。

 

 

…そんな風に思いつめすぎるのもちがう気がしてきた。

 

健常者も定型発達症候群者も互いに互いのやり方に歩み寄れば良いのではないだろうか。

 

どちらかが合わせすぎるのではなく、どちらも妥協し合う…

互いに少しずつ不便かもしれないが、一部の人たちだけ大きな不便を負うよりも良い世界な気がしてきた。

 

 

そんな優しい世界になればいいな…

 

 

…とここでふと不思議に思った。

 

 

「あの…500年前は私たち定型発達症候…定型発達者が世界人口の大多数だったんですよね?でも今は私たちのほうが少数派。なんでこんなに人口比率が変わったんですか?」

 

…長い沈黙が続いた。

 

「やはり…そこへ行き着くか…」

 

番人さんは、うなった。

 

何かまた変なことを言ったのだろうか。

 

「あの…ごめんなさい!!わたしはやっぱりことばの使い方が変というか変わっているというか…なんというか…本当にごめんなさい…」

 

 

番人さんは、黙ったままだ。

 

 

そして…

 

 

「もう閉館時間も過ぎておる。この館にはわしとお主しかおらん…」

 

番人さんは何かを覚悟したように見えた。

 

 

「これから話すことは誰にも言わんでほしい。わしのクビもかかっておる。でもお主には伝えておきたい。すまんが、ちとついてきてくれんかの?」

 

 

わたしは返事をして番人さんについていった。

 

 

私たちはいつも利用している書棚部屋を通り過ぎ、歴史館側へと向かった。

 

そして、歴史館の一番奥にある重い扉を開けた。

 

 

「ここは原則、一般公開は禁止じゃ…」

 

 

番人さんはそう言いながら、大きな金庫の鍵を開け、その中から1冊の分厚い本を取り出した。

 

「この本には、2000年代から2400年代頃を生きた人たちの日記の断片が残っておる」

 

「今、健常者と言われておる人たちは、2000年代頃は発達障害者と呼ばれておった」

 

 

ハッタツショウガイシャ…?

 

 

「わしら定型発達症候群者は当時、定型発達者と言われる健常者で、今の健常者の大多数が発達障害者と呼ばれておった」

 

その頃は、私たちのような定型発達症候群者の人口比率が90%以上で、残りのおよそ数%ほどが発達障害者だったらしい。

 

今の人口比率とは真逆だった…ということか。

 

「なんでこんなに大きく人口比率が変わったんですか?」

 

番人さんはまた険しい顔をした。

 

「…400年ほど前に地球で核戦争があったことは学校で習ったと思う。このとき人類が生活困難になるほどに地球は壊滅してしまった…」

 

 

たしかにこのことは学校の歴史の授業で習った。

 

世界的な核戦争によって、地球に存在した生命体は全て死んでしまった。

 

ところが一部の人間たちは、このことを危惧して宇宙へ逃げ出し、地球に住めるようになるまで宇宙で生活していたらしい。

それが私たちの祖先だ。

 

 

「この話には裏がある」

 

 

裏…?

 

 

「第三次世界恐慌に陥ったため、人々は経済の早急な回復を求めた。そのためには多くの労働者たちに効率よく働いてもらわねばならぬ。社会の効率化を求める大多数の定型発達者たちにとって、迅速な意思疎通を図ることが難しい発達障害者たちは次第に疎まれるようになった…」

 

 

それが徐々に国家レベルでの差別に変わり、核戦争末期には発達障害者は迫害を受けるようになった。

迫害というのは、発見され次第、収容所に連行され、毒ガスなどを用いて一斉に安楽死をさせられることらしい。

今からおよそ600年前の1900年代前半にも似たようなことがあったというが、話を聞いているだけで震えが止まらない。

 

 

少数派という理由だけで殺されてしまうなんて…!!

 

 

「社会が無駄なく効率よく回るためには社会的マイノリティは邪魔だということかのう…いつの時代も変わらんのう…」

 

番人さんはそう言って眉間にしわを寄せた。

 

 

「学校では核戦争を恐れた一部の人間たちが宇宙へ逃れた…と学んだであろう。しかし本当のところは、迫害を恐れた発達障害者たちと彼らを支援する定型発達者が宇宙へ逃れた…というほうが正確かもしれん…」

 

 

核兵器もたしかに怖い。

でも、迫害というものもやっぱり怖い。

 

それにしても…

 

 

「どうして学校では本当のことを教えてくれないんですか?」

 

 

…また長い沈黙が続いた。

番人さんは細く長い息を吐いた。

 

 

そして…

 

 

「今の健常者たちが発達障害者だったという過去をなかったことにしたいからじゃよ。人口比率が逆転し、発達障害者たちにとって快適な社会システムが構築されれば、彼らは障害者ではなくなる。その代わりにわれわれ定型発達者がこの新しい社会システムに適応できなくなる。だから今度はわれわれが定型発達症候群者という障害者になったんじゃ…」

 

 

社会的少数派は生きづらい。

ただそれだけのことなのかもしれない。

ただそれだけのことに人間は「障害」という言葉を使う。

 

 

誰にとって何が「障害」なんだろうか。

 

 

「もうこんな時間じゃ…今日はとりあえず帰るのじゃ」

 

そう言いながら、番人さんはこの本を金庫に入れようとした。

 

 

「…読みたいです。読みたいです、その本!!迫害された健常者…じゃなくて発達障害者の方々がどんな思いで生きていたのか、知りたいです!!」

 

 

番人さんは目を大きく開けたかと思うと、そのあとしばらく上を向いたまま黙って考え込んでいた。

 

 

「この本は貸し出し禁止の本じゃ…だから今日はあきらめてほしい。でも明日ならかまわん。ひとこと声をかけてくれればこの本を取り出してやろう」

 

「ただし!!1日しか取り出せん。館外へ持ち出すことも厳禁じゃ。メモもいかん。この本は特殊な本なのじゃ。多くの人にこの本の存在を知られては困ると政府は考えておる。すまんがこれ以上は…」

 

そう言って番人さんはうつむいた。

 

 

こんな分厚い本を1日で読み切ることができるだろうか。

でも、読んでみたい。

過去に何があったのか知りたい。

 

 

「わかりました。約束は必ず守ります。番人さんにはご迷惑をおかけしません」

 

 

翌日、わたしはこの本を手に取り、ページをめくった。

 

 

 

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