発達障害者ふくの徒然草

発達障害者であるふくの個人的な障害特性に伴う困り感やそれに対してどうアプローチして緩和させているかを徒然なるままに書き留めています。

小説『定型発達症候群』1

 

2569年

 

わたしは産声を上げたらしい。

 

元気な女の子

 

…のはずだった。

 

 

どうしてことばをきちんと使わないの?

 

…母からはいつもそう怒られる。

 

だって

そんなにことばを使わなくても、

相手の顔を見たら、

わかるもん…

 

だからお母さんも、

私の顔をよく見てほしい。

 

…私は幼いながらもがんばって抗っていたと思う。

 

甘えるのもいい加減にしなさい!

顔を見ても何も書いてないでしょう?

人とコミュニケーションをするときは、ことばを尽くして、誤解がないようにするのが、人として当たり前の思いやりよ!

 

母のお小言は今日も長い。

母の顔を見ればわかる。

母は私に呆れているんだ。

 

こんなにたくさん話してくれなくても、お母さんの顔を見ればすぐにわかるよ?

 

お母さんは…

 

私の顔を見ても

私の気持ちが

わからないの…?

 

 

「顔を見ればわかる」って言っても、

みんなわかってくれない。

 

 

私は病気なんだろうか?

 

 

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どうしてこんなに人の気持ちがわからない子に育ってしまったの…?

私の育て方が悪いのかしら…

あの子は本当は優しい子なの。

私が一番よくわかってる。

でも他の子たちはみんなきちんとたくさんのことばを使うのに、あの子は使わない。

顔を見ればわかるって言うんだけど、それはことばを覚える努力をしたくないということかしら…

 

母はよく夜な夜な父にため息交じりに嘆いていた。

 

まぁそのうちあの子のペースで、ことばを覚えるようになるんじゃないか?

ことばでしかコミュニケーションができないこともあの子なりにわかっていくさ。

 

父はそう言って母をなだめる。

 

 

お父さんも

私の顔を見て、

私の気持ちがわからないらしい。

 

 

私だけがことば以外でコミュニケーションをしようとする。

いろんなことばを使わないコミュニケーションは、相手の立場を思いやることができていない証拠らしい。

 

 

私は思いやりのない人間なんだ。

涙がこぼれた。

 

 

もう「顔を見たらことばを使わなくても相手の気持ちがわかる」って、一生言わない。

 

これは私にしかない感覚なんだ。

誰もわかってくれないんだ。

ことばをたくさん使わないことはサボっていて甘えなんだ。

 

これからはできるだけ相手の顔を見ないようにしよう。

目を見てはいけない。

目を見たら、その人の気持ちがわかるから。

そしたら私は、その人の話を途中から聞かなくなってしまう。

聞かなくてもわかるから。

でもそれは相手を不快にさせてしまう。

相手の話を最後まで聞かないと…。

 

あぁ…

どうして私はこんなに人とコミュニケーションを取るのが下手くそなんだろう…

 

 

 

この小説は、「定型発達症候群」というすでに存在していることばをもとに、構成されたフィクションです。

「定型発達症候群」という障害は実際には存在しません。

 

 

参考文献

自閉症スペクトラムとは何か: ひとの「関わり」の謎に挑む (ちくま新書)

 

 

 

 

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