発達障害者ふくの徒然草

発達障害者であるふくの個人的な障害特性に伴う困り感やそれに対してどうアプローチして緩和させているかを徒然なるままに書き留めています。

小説『定型発達症候群】7

 

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診断名

定型発達症候群

 

コミュニケーションに困難さがみられる。また、自分ひとりでの行動や決断は心的に著しい負担がかかる。人の表情や声の高さに過剰に反応してしまうところがある。その一方で、視覚情報の処理において高い能力を持つ。

 

 

やっと診断がおりた。

 

初めて病院を訪れてから半年、初診の予約をしてからは1年近くが経っていた。

 

診断書は紙数枚だが、この診断書には多くの労力とお金がかかった。

 

 

2度目の通院時に渡された質問表を埋める時点で、すでに挫折してしまいそうだった。

 

親子それぞれの質問表にひたすら回答していくのだが、乳児期からさかのぼって回答していくので、とにかく量が多かった。

 

母は、私の乳児期や幼少期を思い出すことに苦戦した。

 

私は、学童期や青年期の嫌な記憶を思い出さなければならず、ただただ苦痛だった。

 

同級生や先生たちに言われて辛い思いをしたこともいやでも鮮明に思い出してしまう。

またその記憶をもとに質問表を埋めなければならならず、まさに拷問のようだった。

 

途中で泣き崩れて、書くのをやめてしまいそうになったこともあった。

 

 

「でも、きちんと書かなくちゃ、診断してもらえないんでしょう?今まで辛い思いをしたんだから、きちんと診断してもらって、サポートを受けようよ?」

 

 

母はやる気に満ちていた。

 

 

定型発達症候群かもしれないと娘から打ち明けられた母の反応は想定外だった。

 

母は反論しなかった。

 

ただひたすら涙を流しながら、

 

「あなたはきっとこれよ。今まで辛かったのね。あなたが学校で辛い思いをしているのは、お母さんの育て方が悪いからだと思ってた…。そうか、障害か…。そうかもしれない。お母さんは全部自分の育て方のせいだと思っていた。」

 

…と思いもよらぬ告白をされてしまった。

 

母も知らないところで苦労していたらしい。

わたしが学校から泣いて帰ってくるたびに、母は親として心を痛めていたようだった。

 

 

質問表を提出すると、今度は心理検査と知能検査をすることになった。

これはこれで拷問だった。

2時間以上も拘束され、一般常識のようなものを聞かれたり、図形の間違い探しなどをひたすらさせられた。

その上、費用が数千円もかかり、気力もお金も吸い取られてしまったように思えた。

 

 

これだけ時間と労力をかけて、もしなんともなかったらどうしよう…

 

初診日から診断が下りる日までは、いろんな考えが浮かんでは消え、また浮かんでは自分自身を責めた。

 

障害じゃなかったら努力不足なんだろうか。

もし定型発達症候群じゃなかったら、私はただの怠け者なんだろうか。

ただの甘ったれなのか。

 

でもこれじゃあ障害者になりたいみたいではないか。

かわいそうだと思われたいのだろうか。

そもそも私は今まで障害のある人たちのことをかわいそうだと思ってきたのか。

 

 

正直、診断された今もさまざまな疑問に対する答えは出せないままでいる。

 

とりあえず、ほっとした。

診断が下りてよかったと思った。

 

でも同時に、こんなにも障害の程度が重いとは思わず、動揺してしまった。

知能検査では、ほとんどの項目が平均から大きく逸脱していて、検査結果の用紙を眺めてはただ呆然とする日々を過ごした。

 

 

私がもぬけの殻のように過ごしていたころ、母はというと信じられないほど精力的に活動していた。

 

障害者手帳の取得申請、やっといたからね。たぶんあと2週間ほどで届くよ」

 

役所の手続きは煩雑と聞く。

母の迅速さには驚きもしたし、感謝もした。

 

 

その一方、父は父で、想定を超える反応だった。

 

「僕は認めないよ!今までそれなりに辛いこともあったかもしれないが、なんとか生活してこれたじゃないか!今さら障害だなんて…!!」

 

定型発達症候群の当事者たちの体験談を読むと、親が認めないというのはよくあることらしい。

私もそれなりに覚悟はしていたが、やはり実際にわが身に起こると、想定していた以上に辛い気持ちにもなり、動揺した。

 

 

父と話をするたびに、混乱してしまった。

 

やっぱり障害ではなく、ただの甘えなのではないか。

本当はやればできるのにできないと言って逃げているだけではないのか。

でもどれだけがんばればできるようになるのだろうか。

できるようになったころ、私は心身にどれほどのダメージを負うのだろうか。

父が正しいのか、診断書が正しいのか。

 

 

「この子は障害なんかじゃない!!!今だってこうして普通に生きてるじゃないか!!!」

 

普通って何だろう…

 

「ちがうわよ!この子は普通に見えるようにずっと無理してきたのよ!努力以上の努力をしすぎてもうこれ以上はがんばれないの!」

 

努力って何だろう…

 

「君がそうやって甘やかすから、この子はできることもできなくなっていくんじゃないのか!?」

 

数年前から、母と父の仲は冷え切っていた。

その上、私の診断をめぐって意見が対立してしまった。

 

母はなんとか父にもわかってほしいと願い、懸命に説得し続けていた。

父は父なりに、私を大切に思ってくれており、障害の診断によって将来不利になってしまうのではないかと心配もしていたのだろう。

そもそも自分の娘に障害があるということを受け入れたくはなかったのかもしれない。

 

 

「僕の娘は普通の子だ!!!」

 

 

普通って何だろう…

 

 

 

この小説は、「定型発達症候群」というすでに存在していることばをもとに構成された、フィクションです。

「定型発達症候群」という障害は実際には存在しません。

 

参考文献

自閉症スペクトラムとは何か: ひとの「関わり」の謎に挑む (ちくま新書)

 

 

 

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