発達障害者ふくの徒然草

発達障害者であるふくの個人的な障害特性に伴う困り感やそれに対してどうアプローチして緩和させているかを徒然なるままに書き留めています。

【発達障害者ふくのフラッシュバック】1995年の報道映像の記憶

 

こんにちは。

 

発達障害者のふくです。

相変わらず生活リズムが不安定で情緒もやや不安定です。

 

こういうときは普段であればさらっと通り過ぎるような記憶も鮮明によみがえります。

ひどいときは当時の気持ちごと思い出してしまいます。

 

昨日7歳のときの気持ちがそのまま再現されて泣いてしまったので、そのことを記録しておこうと思いブログを更新することにしました。

 

 

 

 

恐怖の1995年

 

わたしにとって1995年というのは恐ろしい年でした。

他の方にとっても恐ろしい年だったかもしれませんね。

 

1月には初めて地震を経験し、3月には地下鉄サリン事件の報道を連日テレビで見て、その光景が脳裏に焼きついてしまいました。

 

 

阪神淡路大震災

 

1995年1月17日に起こった地震です。

わたしの住む地域では震度4でした。

 

当時は今ほどの防災意識がなかったためか、震度4でもわが家の食器もそれなりに割れました。

 

また神戸と同じ近畿地方なので、阪神淡路大震災に関する映像を見る機会も多かった気がします。

今もたくさんの煙や高速道路がぐちゃぐちゃになっている光景をときどき思い出します。

 

 

地下鉄サリン事件

 

こちらは1995年3月20日に東京の地下鉄で起こった同時多発テロ事件です。

 

当時はサリンという毒物に関する認知度が低かったため、当時子どもだったわたしのみならず大人たちもよくわからないという状況がしばらく続きました。

 

地下鉄の地上出入口付近でたくさんの人が倒れこんでいて、救急車が何台も止まっている光景をテレビで何度も見ました。

 

 

発達障害児ふくの混同

 

当時7歳の発達障害児ふくは報道番組を観てもいまいち日本語が理解できませんでした。

それでも映像だけはしっかりと頭にしみこんでいく感覚がありました。

 

ただその映像に関しても7歳なりに解釈してしまい、阪神淡路大震災地下鉄サリン事件を勝手に関連づけて記憶していました。

 

 

神戸の人が大変な目に遭ったばかりなのに次は東京の人も同じような目に…

 

 

当時のわたしはそんなふうに感じていたと思います。

 

 

あれから26年も経ったのに

 

あれから今年で26年が経ったそうです。

NHKさんが地下鉄サリン事件を風化させないために被害者遺族の方々にインタビューをされていた記事を目にしました。

 

 

地下鉄サリン事件から26年 私たちが伝えたかった言葉|NHK事件記者取材note

 

 

読んでいる途中で不安な気持ちになってしまい、読むのを中断してしまいました。

ついには泣きじゃくってしまう始末。

まるで当時に戻ったような感覚です。

 

 

「ちかてつにのりたくない!!」

 

普段から地下鉄にはあまり乗りません。

7歳のときもそうでした。

 

毎年年度替りに母と市内の総合卸売業さんへ行き、進級に合わせて必要なものをたくさん買うという習慣がありました。

そのときは地下鉄を使います。

 

毎年のことなので地下鉄には何度か乗っています。

 

 

ところが7歳のとき、帰り道に突然わたしは大きな不安にかられて「ちかてつにのりたくない!!」と騒ぎ始めました。

 

おそらく行き道では見なかった地下鉄の地上出入口が、テレビで見た地下鉄サリン事件の報道映像とリンクしたんだと思います。

 

 

ふく

あれはちかてつ?

あれにのったらテレビと同じことになる?

ちかてつってこわい?

また大変なことになる?

 

 

「テレビと同じこと」の中には多少なりとも阪神淡路大震災の光景も含まれていたと思います。

 

 

ふく

いやや!いやや!

ふくはちかてつにのりたくない!

ちかてつにはのらない!!

 

 

戸惑いながらも向き合ってくれた母

 

行きに地下鉄に乗ったときには何事もなかったのに、帰りに急に怖がりはじめたわが子に母は戸惑ったと思います。

 

 

ふくまま

同じことが起きないとは言い切れないけど…

あんなことはめったに起きないよ。

 

 

そう言われても当時は震災とサリン事件を混同していたのでめったに起きないとはとても思えませんでした。

 

 

ふく

でも起きるかもしれない…?

 

 

ふくまま

うーん…

行きのときに乗ったのと同じやつやで?

行きは何もなかったやん?

 

 

ふく

でもこわい。

いやや。いやや。

ちかてつにのらない。

 

 

ふくまま

じゃあふくちゃんだけあのバスに乗って帰る?

お金渡すから。

 

 

母は荷物をたくさん持ち、幼い妹も連れていたのでバスに乗るのはきついようすでした。

わたしは母の気持ちを感じつつもひとりでバスに乗るのはやはり不安でした。

 

 

ふく

いやや。いやや。

ひとりでバスにのるのはいやや。

 

 

似たようなやりとりを何度もくり返し、結局しぶしぶ地下鉄に乗りました。

 

 

まぁ何もなかったです。

このあとのことはあんまり覚えてません(笑)

 

 

1年に1回、必要なものをたくさん買うので、母は荷物をたくさん持っていて大変だったと思います。

また、当時は地下鉄サリン事件のことも、わたしの発達障害(成人後に診断)のことも母はほとんどわからなかったと思います。

 

それでもそんなに怒られなかったので感謝しています。

わたしは相当な不安を感じ騒ぎました。

 

 

母と当時のことを振り返る

 

話を2021年3月に戻しましょう。

 

地下鉄サリン事件の関連記事を読んで急に7歳のときにタイムスリップしたような気持ちになりました。

 

ここまでひどいフラッシュバックはめったにないんですが…。

珍しいです。

生活リズムが狂うとどうしても体調がすぐれなくなります。

早く就労支援移行施設を正式に利用できるようになりたいですね。

 

 

ひとりではどうしようもなかったので泣きながら母に話しました。

7歳の小学生のような感覚で不安を訴えました。

じっくりと話を聞いてくれた母に感謝しています。

 

おかげでなぜ帰り道に急に地下鉄に乗りたくないと言い出したのかわかりました。

バスに乗って帰るという提案についても話してから思い出しました。

 

 

ふく

行きは地下鉄で行ったよね?

行きは乗れたのになんで帰りは不安になったんやろ?

 

 

ふくまま

行きは連絡通路から地下鉄に乗って地下鉄の入口を見なかったからちゃうかなぁ。

 

 

話していくうちに思い出したことも多かったです。

 

 

だんだんと7歳の感覚が抜けていき30過ぎのリアルな自分を取り戻していきました。

 

 

でも母には少しつらい思いをさせてしまいました。

 

 

ふくまま

ごめんね、つらい思いさせて…

発達障害のことが当時わかってれば、帰りに地下鉄の地上出入口を見なくてもいいどっか建物内の連絡通路を通って帰ったと思う。

 

 

 

フラッシュバックやパニックについて書きつづってみました。

発達障害のお子さんや子どもたちを支援する方々の参考になれば幸いです。

 

 

 

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