おはようございます。
英検準1級にあと1点で落ちてしまい、ややふてくされているふくです。
そのはなし、詳しく聞かせて。
…という方は語学ブログをご覧くださいませ。
ちなみに読者登録ゼロなので寂しいです(笑)
これに加えて、家族とのコミュニケーションがうまくいかず、完全にやる気をなくしています。
障害者は健常者と比べて頭を下げる回数が多い?
先日、母とわたし、妹のこふく、姪の姫ちゃんの4人でお出かけしました。
ピクニックとかではないです…。
どちらかというと法事に近いかな。
わたしは外出するだけでも疲れてしまうのですが、それに加えて複数人とのコミュニケーションが必要な場合、たとえ家族であっても疲れてしまいます。
発達障害由来のコミュニケーション障害もあると思いますが、それ以前にカクテルパーティー効果というものがわたしにはなく、外出先での会話は聞き取りにくいです。
要するに…
めっちゃ疲れました。
ですが、わたしのがんばりは健常者にとっては及第点だったりするんですよね。
姫ちゃんにお茶をあげようとしたら、誤ってこぼしてしまい、姫ちゃんのお洋服を濡らしてしまいました。
妹と母にはあきれられ、姫ちゃんはぎゃん泣きです。
また、車のドアを開ける際に不注意だったためか、ドアをフェンスにぶつけてしまいました。
妹にはあきれられ怒られ何度も謝りました。
昔からこういうささいなミスが多いんですよね。
学童期は発達障害などまったく知らなかったので、全て自分の不注意によるものだと思って、とにかく謝り倒していました。
ですがそのために、あの子はごめんばっかり言うからきらいって陰口言われました。
じゃあどうせーっちゅうねん…
人の呆れている顔を見るのがいちばん苦手です。
思い出すだけで泣きそうになります。
気をつけても、気をつけても、ミスをしてしまう…
謝っても、謝っても、呆れた声と表情が消えない…
…ときどき生きる気力を失います。
わたしがすぐに怒ってしまうのはADHDのせいですか?
とはいえ、わたしにもいやだなぁと思うことはあるわけです。
それなりにがまんもしていますし、気も使っています。
今回のお出かけでは、妹のこふくにとても腹が立ちました。
車酔いやら人ごみやらで疲れきっていたころ、お昼ごはんをみんなで食べることになりました。
回転寿司屋さんに行きました。
おすしは好きですが、店内はいろんな音がするので苦手です。
人の声や機械の音などがつらかったですが、できるだけ疲れが見えないように楽しく過ごそうと努めました。
たくさんおすしを食べました。
おいしかったです。
ですが、そんながんばるわたしに向かってこふくが何気なく言ったひとことに少しいらっとしました。
お姉ちゃんはさぁ、ダイエットやめたの?
よくそんなに食べるよね。
ダイエットしてないの?
そんなけ開き直ってるんならいいんじゃない?
まず、わたしはダイエット宣言などをした記憶がありません。
また、わたしは健康のために体重を維持することを心がけているので、ダイエットということばがしっくりきません。
そんなわたしの違和感を無視してマシンガントークで攻めてくる妹…
そのときはがまんしましたが、このお出かけの数日後に母を通して、姪の名前を大きな声で呼ばないでほしいとたしなめられ、怒りが再燃してしまいました。
妹家族の名字はとても変わっているので、不特定多数の人に姪の名前が知られることがいやなようです。
いや、そのときに直接すぐに言ってくれよ。
わたしの外見のことでをあれだけ責めるそのエネルギー、どう考えても使いどころ間違ってるでしょ?!
…と思いました。
それでも母はどちらかというと妹よりなんですよね。
…というより母も人の外見について容赦ないコメントをすることがよくあるんです…。
頭のよしあしに関するマウンティングには正義をふりかざして怒りをあらわにする傾向があるのですが、外見やファッションのことになるとけっこう平気でマウンティングしてしまう…
母と妹のあまり好きではないところです。
また、母はわたしがいらだつと子ども扱いしてくるところがあります。
わたしが周りと比べてあせっているときなどに、ふくちゃんはまだ15歳だからという励ましかたをするときもあります。
実年齢のおよそ半分ですね。
コミュニケーションに関するトラブルが発生したとき、いつもわたしの発達障害特性のせいにされたら、やっぱりいやになります。
外見のことを容赦なく否定されたら誰だって腹立ちませんか?
発達障害者のわたしとコミュニケーションに関して何かしらのトラブルがあったときに、発達障害だから仕方ないと簡単に話を終わらせようとする母にも腹が立ちます。
マイノリティはコストがかかる
それでも、やっぱりわたしにも非があると思ったりもします。
- ミスをしたあとに自分自身を責めすぎる。
- 突然、自分のミスを指摘されると必要以上に怒ってしまう。
- 過去のいやだったことを引きずる。
などなど、今回の一件でわたしなりに反省しました。
ただ、反省の仕方がよくなかったためか、さらに怒りを抑えられずに今こうしてブログを書いています。
困ったときはネット検索です。
今どきの若者ですね(苦笑)
【発達障害 指摘される いや 】
…などと検索したと思います。
すると、ADHDのアンガーマネージメントに関する本が検索にヒットしました。
なぜか急にむなしくなりました。
母と妹はアンガーマネージメントの本など読もうとも思わないんだろうなって。
そんな面倒なことをしなくてもマジョリティである母と妹は生きていけるからです。
また、母と妹は発達障害に関する本や関連する法律に目を通すこともないだろうと思います。
母と妹は発達障害当事者ではないからです。
発達障害のことを勉強してくれる健常者は少ないです。
発達障害に少しでも理解がある健常者はとても褒められます。
実の父親が子育てに少し積極的なだけでイクメンともてはやされる日本の現代社会に似ているなと個人的には思います。
ですが、わたしたち発達障害当事者はちがいます。
発達障害者をはじめとするマイノリティがこの社会に適応するためには、さまざまなことを学ばなければいけません。
どんなにがんばって勉強しても、自分のことなんだから勉強するのは当たり前でしょと思われているようにも感じます。
- そもそも自分の障害はどういう障害なのか
- どのようなことが苦手なのか
- 苦手を克服するためにはどうしたらいいのか
- 困ったときはどうすればいいのか(行政のセーフティーネットなど)
…お金と時間がかかるんですよね。
ですが、何よりも腹立たしく思うことは…
これらの情報は健常者(≒マジョリティ)が普通(正常?)であることを前提に書かれていること
なんですよね。
発達障害は個性だとかいうようなきれいごとが普及しているわりには、マジョリティの側からわたしたち発達障害者にさまざまな改善要求を当然のように突きつけられます。
発達障害者の側が治さなければいけない,改善すべきだという空気を多くの人が疑わない。
この対等ではない感じが今のわたしにはどうしても納得がいきません。
この怒りも発達障害特性の「こだわり」ですか?
それとも最近流行の「認知の歪み」だと思いますか?
スポンサードリンク