この記事は2020年3月20日に作成されました。
地下鉄サリン事件でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りします。
おはようございます。
2020年の3月20日
地下鉄サリン事件から25年が経つそうです。
わたしは被害者でもありませんし、被害者遺族でもありません。
ですが当時のわたしが体験したことを書き残しておこうと思いました。
一人でも多くの方々にこの事件を忘れてほしくないと思ったからです。
関西に住む小さな女の子の記憶
「関西に住む小さな女の子」というのは、地下鉄サリン事件が起こった当時のわたしのことです。
本当に幼かったようで、阪神淡路大震災の前に地下鉄サリン事件が起きたと記憶違いしている時期がありました。
未だに時系列がわからなくなるときがあります。
正しい順番は、以下の通りです。
1995年1月17日
1995年3月20日
このブログを書くために当時の記憶を思い出してみたのですが、もしかしたら東京でも大きな地震が起きたのかと誤解していたような記憶もあります。
…記憶はおぼろげですが、このときの不安な気持ちは今もはっきりと覚えています。
わからないことへの恐怖
当時、何がいちばん怖かったかというと、何が起こったのかわからなかったことでした。
わたしたち家族は朝ごはんや夜ごはんを食べながら、ニュースを見る習慣がありました。
そのとき母にいろいろ聞きました。
これは何?
毒って何?
なんでこんなに人が倒れているの?
…正確には覚えていませんが、おそらく母を質問攻めしたことは確かです。
いつもはそれなりの答えを教えてくれる母なのですが、このときは何も教えてくれませんでした。
お母さんもよくわからない…
そして、ニュース番組でも同じようなことをよく耳にしました。
何らかの毒がまかれたようです。
その毒が何かはまだわかりません。
…わたしが幼いからわからなかったのではなく、みんなわからなかったんですよね。
周りの大人たちもテレビに映る頭がよさそうな人もみんな、事件直後は何もわからなかったんです。
何が起こったのかよくわからないまま、人々がばたばたと倒れている映像や、一斉に逃げ出している映像がたくさん流れてきました。
防毒マスクを見ると心がざわざわする
新型コロナウイルスでマスクの在庫がないから防毒マスクを購入しようかと思うというようなことばをtwitterで見かけました。
そのときに妙な違和感があったんです。
大げさだな。
と思いつつも、何か見たくないものを見ているような気がしました。
この防毒マスクをした人々が街にあふれたらなんか怖いな…
なんでこんな怖いものを買いたいと思うのだろう…?
そんな風にも思いました。
ただこのときはそれ以上何も考えませんでした。
あまり考えたくなかった。
防毒マスクのことを早く忘れたいと思ったのかもしれません。
防毒マスクを見たときになんとなく心にざわざわしたものを感じました。
今日「地下鉄サリン事件」を風化させたくないという思いから、関連ニュースや当時の映像をいくつか見ました。
そのときに今まで押し込んでいた記憶や当時の感情が一気によみがえった気がしました。
あっ…
わたしが防毒マスクに恐怖心を抱く理由はこれだったのか…
地下鉄サリン事件が起こったあのとき、防毒マスクを着けて除染作業をしていた方々の映像記憶が強く残っているからだ…
防毒マスクを見ると真っ先に「地下鉄サリン事件」を思い出すからだ…
真っ先に当時の映像を思い出すものの、恐怖心からかその記憶を抑圧しようとしていたんだと思います。
また、当時は幼かったのでそのとき気持ちをことばにすることが難しかったです。
そのためにより一層、除染作業の映像記憶とそのときの恐怖心が強く残ったのだと思います。
なぜ当事者ではないわたしがこの事件について語るのか
というわけで。
関西に住んでいた小さな女の子だったわたしは、「地下鉄サリン事件」について詳細に語ることができません。
それなのになぜこのブログを書こうと思ったのか。
それはやはりこの事件を風化させたくないと思ったからです。
忘れてほしくないと思ったからです。
今の20代の人々はこの事件の記憶がほとんどない
これも個人的な話になりますが、わたしは浪人と再受験をして大学に入学しているので、同級生や後輩とはとても年齢が離れています。
今日このブログを書こうと思ったのは、大学時代の友人や後輩は、「地下鉄サリン事件」発生当時、乳児またはそもそも生まれていないのではと気づいたからです。
今日気がつきました。
もっと早くこのことに気づいて、私なりに話してみてもよかったなと思いました。
たとえテレビの向こう側であっても、実際に事件直後のパニック状態を感じ取っている人間とそうではない人間では、事件に対する印象もまったく異なると思います。
一人一人が体験したことや当時の気持ちを語り継がなければ、若い人たちの関心が薄れて事件が風化してしまうのではないかと思いました。
事件の被害者や被害者家族が語り継げばそれで十分ではないかという意見もあると思います。
ただ、当事者だけに頼っていては、伝えられる人々の数に限界があるのかなと思いました。
もうあの事件から25年が経ちます。
被害者家族の高齢化も進み、今後ますます当事者から話を聞くことが難しくなると思います。
だから、わたしのような人間でも自分が当時体験したことを自分より若い世代、事件当時の状況を体感していない人々に伝える必要があると思いました。
サリンによる後遺症はずっと続く
事件関係者でなければやはり記憶は薄れていくものです。
本当に申し訳ないと思います。
ですが被害者や被害者家族の方々は、この25年間この事件を忘れた日はないと思います。
わたしはテレビを通してたくさんの被害者のようすを見ました。
そしてその数年後、学校で四大公害について学ぶことになります。
水俣病とかですね。
そのとき見た教科書の水俣病患者の写真が、地下鉄サリン事件のときに見た被害者に似ているなと思ったのです。
専門家の方からしたらまったくちがうのだと思いますが、医学知識もなく年齢も低かったので、直感的に似ていると思ってしまいました。
事件が終わってもずっと後遺症で苦しむのか…
10年たっても20年たっても身体の自由がきかないのか…
授業を受けながら、そんな風に感じたことを覚えています。
日本社会に大きな歪みがある限り似たような事件は起こるかもしれない
この「地下鉄サリン事件」を風化させてはいけないと考える最後の理由です。
日本社会に差別や格差といった大きな歪みがある限り、凶悪な犯罪はなくならない。
凶悪事件の犯人を死刑にしても事件は終わらない。
そう思いました。
これはわたし独自の考えではありません。
地下鉄サリン事件の特集番組で誰かが言っていたのです。
日本社会に不満がある人がいる限り、また誰かが似たようなことをするかもしれないと…
相模原障害者施設殺傷事件が2016年に起こりました。
この事件でも多くの尊い命が奪われました。
「地下鉄サリン事件」とは、動機や犯行内容はまったく異なります。
ですが…
両者ともに「日本社会の大きな歪み」が最悪な形で露呈したとは考えられませんか。
わたしはそう思います。
犯人に極刑を課したところで、日本社会の大きな歪みを改善しようとしない限り、また誰かがこの世界を無意味なものと考え、正義という名のもとに多くの命を奪うかもしれない。
事件の首謀者に全責任を負わせてもいいのだろうかとも思ってしまいます。
ちょっと立ち止まって社会に目を向けてみれば、この社会には理不尽な経済格差や教育格差、差別や偏見がはびこっています。
多くの人が少しずつこれらの事柄から目をそらし続ける限り、凶悪事件はまた起きるかもしれない。
逆に言えば、一人一人が目の前に存在する格差や差別に向き合うことで、このような悲劇が起きないかもしれないとも思います。
一人一人の方々が社会的弱者の負担を少しずつでいいので一緒に背負ってくれたら、テロや無差別殺人事件は起きない,起こさせない…そうあってほしいものです。
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