発達障害者ふくの徒然草

発達障害者であるふくの個人的な障害特性に伴う困り感やそれに対してどうアプローチして緩和させているかを徒然なるままに書き留めています。

【社会的マイノリティとして観る大河ドラマいだてん】ナチスや優生思想が怖い

 

こんにちは。

今日は日曜日ですね。

 

先月くらいから『いだてん 〜東京オリムピック噺〜』を視聴しています。

 

最初から観てないんかーい!

 

…そうなんですよね。

この大河ドラマの話を聞いたときは、2020年東京オリンピックを盛り上げるためのプロパガンダドラマだと決めつけていました。

 

全然ちがいましたね。

 

脚本家の宮藤官九郎さんを信じて第1話を観ればよかったなと後悔しています。

何事も決めつけはよくありませんね。

 

 

  1. ナチズムへの反応は三者三様
  2. 障害者が先だった
  3. 1996年まで存在していた旧優生保護法

 

 

ナチズムへの反応は三者三様

いだてんに出演されている役者さんは皆さん素晴らしいですね。

話し方や目に登場人物それぞれの気持ちが感じられる気がします。

 

嘉納治五郎(役所広司)

ナチスドイツの雰囲気に陶酔してしまっているような虚ろな目をときどきされているように見えました。

 

ドイツはすごい…

 

そう思っていた一人なのでしょう。

当時のドイツに圧倒されていた方々も多いと思います。

 

田畑政治(阿部サダヲ)

第36回『前畑がんばれ』では、ヒトラーと直接やりとりをしていましたね。

ヒトラーに直接会うまでは、1936年ベルリンオリンピックの異様な雰囲気に嫌悪感を抱いていたのに、ヒトラーと会い、握手をした直後は、何かに取り憑かれてしまったような恍惚とした表情をされていたのが印象的でした。

 

私は当時のドイツを生きていませんし、ヒトラーに会ったことなどもちろんありませんが、ヒトラーには人々を魅了するカリスマ的雰囲気があったと聞きます。

 

田畑政治役の阿部サダヲさんは、ヒトラーの雰囲気に魅了されそうなその瞬間を見事に演じられていました。

 

私が一番衝撃を受けた演出は、ヒトラーと握手をしたあとしばらくのあいだ、阿部サダヲさんがヒトラーと握手した手をおろさなかったシーンです。

 

阿部サダヲさん演じる田畑政治が、「ハイル・ヒトラー!」というポーズを今にもしてしまいそうな、全体主義を受け入れてしまいそうな、そんな危うい心理状態を見事に表現していたシーンだなと思いました。

 

…とえらそうに書いていますが、演技に関してはド素人です。

 

副島道正(塚本晋也)

彼が一番、ナチズム及び全体主義の危うさを理解していたと思います。今では彼のような考えを持つ人々が大多数だと思います。

ですが、1930年代を生きていた人々のうち、どれだけの人々がナチスドイツや全体主義の危うさを察知できていたかどうかは今となってはわかりませんね。

彼の説得により、田畑政治はナチズムの恐ろしさとその恐ろしさに気づかなかった自分を知ります。

 

 

障害者が先だった

ナチスドイツといえば、ユダヤ人の大量虐殺が有名ですね。

ですが、殺されてしまったのはユダヤ人だけではありません。

 

皆さんは、T4作戦についてご存知でしょうか?

 

私は大学生のときに初めて知りました。

 

T4作戦について、ここに引用するメンタルの強さを私は持ち合わせていません。

気になる方はT4作戦で検索してください。

 

このT4作戦は、優生思想学に基づいて行われたものです。

優生思想学というのは、めちゃくちゃかいつまんで言うと、優良な子孫,遺伝子を残そうというものです。

逆にいえば、優良でない遺伝子を持っていると判断された人間は、人類の発展のためには不要であるという考え方になります。

 

1930年代のドイツに私が生きていたら、安楽死政策を実施され、ガス室に連行されていた…ということになります。

 

手が震えてもうこれ以上は書けません。

でも書き残しておきたいのです。

 

障害のある人間が、勇気を持って、優生思想はだめなんだと言い続けることが大切だと思っています。

その理由は、今の日本社会は、優生思想がいつ復活してもおかしくない怖い社会だと私は思うからです。

 

 

優生保護法と「生産性」という言葉

なぜ優生思想が復活するかもしれないと私が怯えているのかという話をするためには、優生保護法の話をしなければいけません。

 

優生保護法というのは、現在の母体保護法が制定されるまで日本に存在していた法律です。

今は旧優生保護法と呼ばれています。

 

この旧優生保護法は優生思想の考えを含んでいて、障害者への不妊手術に関する文言も明記されていました。

 

つまり、

 

1996年まで、障害者を子どもが産めない身体にしてしまう手術が合法だった

 

ということになります。

 

最近までこんな法律が存在していたのは衝撃的でした。

また、実際にそのような手術を受けさせられた障害者がたくさんいたことにも驚きます。

 

最近、不妊手術を受けさせられた障害当事者たちから多くの声が上がり、「旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者に対する一時金の支給等に関する法律」が制定されました。

 

旧優生保護法による優生手術等を受けた方へ

 

本来、子どもを産む産まないを決めることについては本人の意思が尊重されなければいけないと思います。

 

ただ、発達障害当事者の女性の中には、自分なんかが子どもを産んでもいいのだろうか、もしも我が子も発達障害があったら私のように、私以上に生きづらい思いをするのではないかと、ずっと悩んでいる方々もいます。

私もときどきそんな風に思います。

 

ごくごく一部の発達障害当事者の男性が「発達障害の女性は子どもを産まないでほしい。発達障害が遺伝したら子どもがかわいそうだから。」というようなことをtwitterに書き込み、大炎上したことがあります。

 

発達障害は遺伝するとは限りません。

発達障害者が定型発達児を産むこともあります。

定型発達者が発達障害児を産むこともあります。

 

また、百歩譲って、もし発達障害が遺伝するとして、発達障害女性だけに責任を求めるような発言は男尊女卑的だと私は思います。

発達障害男性からは発達障害は遺伝しないが、発達障害女性からは遺伝すると言える科学的根拠でもあるのでしょうか?

 

何よりも、発達障害児も光り輝く尊い命です。

産んでくださったお母さん、お父さん、ありがとうございます。

育ててくださっているお父さん、お母さん、ありがとうございます。

子どもは宝です。

大切な大切な宝です。

そこに障害の有無は関係ありません。

 

…と話せばきりがないのですが、要するに、優生思想は未だに日本社会に潜伏しているのだと思います。

 

人間たちに少し余裕がなくなれば、すぐに優生思想は蔓延するかもしれません。

 

生産性のある人間しか生きていてはいけないのですか?

そもそも生産性とはなんですか?

優良な遺伝子って何でしょう?

平気で人間に優劣をつける人間は、優良な遺伝子を持つ優良な人間なのですか?

 

私はナチズムを忘れません。

優生思想は断固拒否します。

 

そう強く思っていても、田畑政治を演じた阿部サダヲさんのドラマのワンシーンように、私が全体主義的な何かに魅了されたり、飲み込まれたりしてしまう可能性はゼロではありません。

 

怖いです。

 

人間は生きているだけでいい。

どんな命も生きている、ただそれだけで尊い

 

そんなシンプルで大切なことを忘れてしまいそうになる今の日本社会が、私自身が、私は怖いです。

 

 

 

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