発達障害者ふくの徒然草

発達障害者であるふくの個人的な障害特性に伴う困り感やそれに対してどうアプローチして緩和させているかを徒然なるままに書き留めています。

【お父さんのチキンラーメン】早朝ブログ74

 

おはようございます。

 

英検が終わってから何もやる気が起きないふくです。

来週は忙しいので生活リズムと体力をいい感じにしたいです。

生活リズムは狂いに狂っております。

 

 

さてさて。

 

驚きの新事実を知ってしまって、未だにやや動揺しております。

 

【遺産相続権を放棄しました。】「知りたくない権利」がほしい… - 発達障害者ふくの徒然草

 

 

心の平穏を取り戻したい…!!

 

というわけで。

 

 

やっぱり家族ってえぇな…

 

 

と思えるブログを書こうと思いました。

 

 

 

 

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母、生死をさまよう…

 

母の元気な姿を見たのはこの日が最後かもしれません。

 

いってらっしゃい。

気をつけてね。

 

…いつも通りの朝でした。

 

その後、母はパート先のお昼休み中に、17歳の少年が乗ったバイクにはねられて、意識不明の重体に陥りました。

 

頭蓋骨骨折やくも膜下出血といった、聞くだけで全身が痛くなるような症状が羅列されていたようでした。

お医者さんの説明を聞いても見たことない漢字ばかりでよくわからなかったとあとで聞かされました。

 

母はもう少しで三途の川を渡りそうなほど重体だったらしいのですが、強い生命力でなんとか生きていてくれました。

とはいえ今も後遺症があります。

 

 

父、ひとりで抱える…

 

何も知らされていないふくと妹こふくは、よくわからないけれど、とりあえず毎日きちんと生活しないといけないと思い、子どもなりに自分で身支度をして、学校に行って、よく学び、よく遊び、今までとさほど変わらない日々を過ごしていました。

 

父からは母は仕事が忙しくてしばらく職場に泊まらなければならないという説明を受けていました。

 

 

パートタイマーの母にそんな勤務ができるのか?!

 

 

…と思うはずもなく、おかしいなぁ…とは思いつつも、急に母がいなくなったので、とりあえず生活するのが精一杯でした。

 

 

父はもっと大変だったと思います。

 

父母ともに、家の事情、ましてや親の事情で子どもが学校に行けないというようなことは絶対に避けたかったらしく、父はしばらく母が事故に遭ったことを私たち子どもには黙っていました。

母も父も実の両親には恵まれなかったので、子どもへの思いは強かったと思います。

 

母が交通事故にあったのは水曜日だったので、土曜日までの数日間は知らされませんでした。

 

ふくとこふくは子どもなりに、朝起きて学校に行って、宿題やらなんやらをがんばっていたとは思いますが、事故当日から土曜日までの父は…

 

  • 母の容態について医師から説明を受ける
  • 母の着替えなどを病院に持っていく
  • 子どもには普段通り対応する
  • それなりに不慣れな家事もがんばる
  • 仕事もいつも通りがんばる

 

…みたいな生活を送っていたと思います。

 

おそらく、母の命はもう…みたいな話も聞かされていたのではないかと思うと、気丈に振る舞っていた父には驚きを隠せません。

 

 

お父さんのおはなし

 

…というわけで、怒涛の平日が過ぎました。

そして土曜日、父からは土曜日は母方祖母の家に行くと言われていました。

 

ふくちゃん、こふく!

ちょっとここへ座りなさい。

 

はーい!

今からおばあちゃん家に行くんやろ!

準備しやなー!

 

いや…

その前に話があるねん。

 

何?

おばあちゃん家に行くんやろ?

 

うん…

 

父が泣き始めました。

 

そんなにおばあちゃん家に行きたくないのか…?!

 

…と思うはずもなく、子どもなりに母に何かあったのだろうと思いました。

 

うぅ…

お父さんはええねんけど、ふくちゃんやこふくのことを思うと…

うぅ…

 

 

なかなか話を切り出せないようすでした。

 

 

今からおばあちゃん家に行くんじゃないねん…

お母さんな…

お母さん…

交通事故に遭ってな…

今からお母さんの病院に行くねん…

 

 

うわーーーーーん!!!

 

 

ふくとこふくは泣き叫びました。

 

 

お父さんのチキンラーメン

 

このとき泣きながら食べたお昼ごはんが、父の作ってくれたチキンラーメンでした。

 

 

お湯入れるだけのやつ…

 

なのですが、なぜかそのときのチキンラーメンはものすごく優しい味がしておいしかっです。

泣きながら食べたのでちょっとしょっぱかったです(笑)

 

泣いていてもしょうがないものの、わたしはなかなか気持ちを切り替えられず、ぴーぴー泣きながら食べました。

 

父と妹こふくはもう泣いていませんでした。

 

いつまで泣いてるん?

早よ食べてお母さんとこ行くで!

 

…わたしは豆腐メンタルやの!!!

 

…とは言えるはずもなく(豆腐メンタルということば自体がまだ存在していなかった。)、できるだけ急いでチキンラーメンを食べました。

 

悲しかったものの母に久しぶりに会えるので楽しみでもありました。

 

 

変わり果てた母の姿…

 

数日ぶりの再会なのでものすごく楽しみだったのですが…

 

初めて見たときは一瞬息が止まりました。

 

 

母の顔は青あざだらけでした。

 

 

ショックでしたね。

 

ですが父曰く、事故直後はもっとひどかったらしいです。

母も、初めて鏡で自分の顔を見たときはびっくりしたと言っていました。

これでもましになったと父からも母からも何度も言われました。

 

 

母の意識も回復していて安心しました。

生きてくれていてよかったです。

 

 

後日談

 

それから2週間後。

母は無事に退院したのですが…

今度は母のほうが絶句していました。

 

 

家が汚すぎる…

 

 

すみません…

ズボラ父と小学生ふくとこふくにとっては、これが限界でした…

 

 

カーテンも開けてないの?!

一度も?!

 

 

カーテンの存在など思い出したこともなかったです…

けっこう大変だったんですよ…

 

忘れものもせず、宿題もきちんとこなし、ピアノの教室にも休まずいっていたので褒めてください(笑)

 

 

わたしとチキンラーメン

 

 

あれから、何度もチキンラーメンを食べたのですが、あのときのチキンラーメンが一番おいしいチキンラーメンですね。

 

お湯を入れるだけで誰でも同じ味を再現できるインスタントラーメンのはずなのですが…

不思議です。

 

父は魔法のお湯でも使ったのでしょうか?!

お湯を入れるタイミングに父オリジナルのコツが…?!

 

…謎のままです。

 

ですが、今も元気がないときはチキンラーメンを食べると、がんばってみようと思えるので、これもやっぱり不思議です。

 

 

 

お題「思い出の味」

 

 

 

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