発達障害者ふくの徒然草

発達障害者であるふくの個人的な障害特性に伴う困り感やそれに対してどうアプローチして緩和させているかを徒然なるままに書き留めています。

小説『定型発達症候群』10

 

前回

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あの日以来、私は「本と歴史博物館」に足繁く通うようになっていた。

 

 

母も私が毎日のように外出するので一安心している。

 

「あなたがこうして毎日外に出てくれると、お父さんもあまり神経質にはならないからね」

 

とのこと。

 

 

また、定型発達症候群の診断直後は、あれもできないこれもできないという情報ばかりが記憶に残り泣いてばかりだった。

 

でも、今は少し冷静になれたようにも思う。

 

調べていくうちに、自分がなぜ今まで困っていたのかしんどかったのかについて具体的に理解できるようになったのは何よりもありがたい。

 

 

本と歴史博物館のおかげだ…

 

 

そう思いながら、今日もあの重い扉を開ける。

 

 

「おぉ、熱心じゃなぁ…。あんまり根を詰めると風邪をひくぞぅ!」

 

博物館の館長はいつも気さくに声をかけてくれる。

 

 

「こんにちは、番人さん!」

 

「やっぱり若いのは元気じゃなぁ。閉館時間までには帰るのじゃぞ。」

 

 

館長と呼ばれるのは気恥ずかしいらしく、番人と呼ぶようにと言われ、それ以降わたしは番人さんと呼ぶようにしている。

 

…番人さんのほうが呼ばれたら恥ずかしい気もするけど、それは人それぞれかな。

 

 

 

今日は自分の特性についてノートにまとめたいと思っている。

 

 

かかりつけの先生によると、定型発達症候群の認知度は低いものの、少しずつ認知されるようになっており、定型発達症候群当事者が安定して働けるように配慮をしてくれる企業も少しずつ増えてきているらしい。

 

 

「もし優良な企業と出会ったときに、ご自身の特性と具体的にどのようなサポートを受けたいのかを話せると、安定して働くことができるようですね」

 

 

あぁ…

やっぱりきちんと話せないとだめなのかぁ…

 

と思いつつも、話せばわかってくれる企業もあるというのは少し希望が持てる。

 

 

「上手く話せないと思ったら、事前にメモを書いて渡したりするのも企業にとってはありがたいみたいですね」

 

 

それはいい!

わたしはもともと言語運用能力が低いうえに、話さなければと思えば思うほど何も話せなくなるところがある。

 

過剰適応のひとつらしい。

 

でも事前に障害特性などを書いてまとめておけば、その場で話すことによる精神的負担は減るのではないだろうか。

 

そう思うと俄然やる気が出てきた。

 

 

【定型発達症候群 特性】

 

 

検索機で表示された書棚へと向かう。

 

 

良さそうな本を3冊ほど持って、近くの席へと座った。

 

 

やりがいを持って働ける素敵な職場に出会えたらいいな…

 

 

そんな淡い期待とともに本のページをめくる。

 

 

でも…

 

 

そうか…

こういうときはこんな風に言わなければいけなかったのか…

だからわたしは学校にもなじめなかった…

 

あぁ…

そういえば似たような経験がある…

こんなとき健常者さんは私たち定型発達症候群者のようには振る舞わないのか…

 

えっ健常者さんってこんな風に感じるの?

わたしに悪気はなかったけどいやな気持ちにさせていたかもしれない…

 

 

過去の自分を振り返って反省するばかりだった。

 

あれも直さなくっちゃ。

わたしのこんなところも良くない。

あの癖は健常者さんには誤解されてしまう。

 

わたしのどこもかしこも健常者さんには迷惑をかけてしまうんだ…

 

 

「お主は自分のことを障害者だと思っているのかね?」

 

番人さんの声が聞こえた。

まだ閉館時間ではないはずだけど…?

 

「そんな今にも泣きそうな顔をしとれば心配になるわ」

 

「番人さん、わたしは…わたしは…わたしのせいで…今までいろんな人にいやな思いをさせていたみたいで…わたしは今までいじめられていやだったこととか自分のことばかりで…でも…わたしがこんなんだからみんなに嫌われて…でもこれは障害だから仕方がないのかな…でも…仕方がないの一言で済まされるようなことではなくて…」

 

番人さんにも迷惑をかけてしまっている。

わたしはもう少し具体的にわかりやすく話せないのだろうか。

 

「なぜそんなに自分自身を責める?わしから見たらお主は何も悪くないぞ?」

 

「でも…わたしは…わたしのいろんな特性で健常者さんに不快な思いをさせてしまって…本を読んで直せるところ直していこうかなって…でも全部直したらこれはわたしなんでしょうか?そもそも直るものなの…?」

 

「お主がそこまでつらい思いをして、自分を変えようと努力したところで、健常者たちはもっと努力しろと言うかもしれぬ」

 

「健常者の擬態化」によってうつなどの二次疾患に罹患してしまった定型発達症候群の人たちも少なくはない。

 

それでももっと努力すれば定型発達症候群者でも社会人として自立できるという風潮がある。

 

 

「…そもそもわしらはもともと障害者ではなかった」

 

えっ…

番人さんは何を言ってるの…?

 

私たちは障害があって、だから診断書ももらったし、障害者手帳もあるし、こんなに生きづらい思いをしている。

 

 

それなのに番人さんは私たちが障害者ではないと言うの…?

 

 

「そんなはずない…!!定型発達症候群に関する本もたくさんあるじゃないですか?!診断書だってもらったし、わたしは今も病院に通っています!!それなのに急にきみは健常者だと言われても困ります!!」

 

 

「たしかにわしらは今は健常者ではない」

 

 

今は…?

 

 

「じゃが、500年以上前であれば、わしらは健常者だったんじゃ。人口の90%以上の人間が定型発達者だったんじゃ」

 

 

 

この小説は、「定型発達症候群」というすでに存在していることばをもとに構成された、フィクションです。

「定型発達症候群」という障害は実際には存在しません。

 

参考文献

自閉症スペクトラムとは何か: ひとの「関わり」の謎に挑む (ちくま新書)

 

 

 

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