久しぶりに家族3人で過ごした。
…といっても相変わらず母は早めにごはんを済ませて、父は母がごはんを食べているあいだにお風呂に入り、私は不安と緊張に耐えられず自室にこもっていたので、昨日とあまり変わらないような気もする。
いや、それはちがうか。
同じ家に母と父がいる
…それだけで心があったかくなるような気がする。
でもそれもちがうかもしれない。
いつ話そうかと悩むと、どうしても脈が速くなる。
だから心があったかいというより、熱いのかもしれない…
話すべきことさえなければもっと快適に過ごせたのかもしれないな。
そんなことを思いながら、母が作ったハンバーグを食べた。
おいしかったな…
どうしてそう感じるのかわからない。
でも一流シェフのハンバーグよりもお母さんのハンバーグのほうがおいしく感じるのだ。
ふーーーっ…
また長い息を吐いてしまった。
もういい加減に話を切り出さないと、母も父も寝てしまう。
明日の夕方には大学近くの自分のアパートへ戻るつもりなので、まだ時間はあるが、今日を逃せば言えずに終わるような気がしていた。
「ため息ばかりついてどうしたの?それに急に帰ってくるなんて珍しいじゃない?大学で辛いことがあったの?お友だちはできた?お勉強は楽しい?あなたは何も話してくれないから、お母さん、わからなくて不安よ…」
母はついに耐えられなくなったらしい。
私が帰ってきた直後は、娘が帰ってきた喜びからか安堵の気持ちからか、母はいつにも増して饒舌だった。
近所の新たにオープンしたお店の話、私の同級生の近況など、私が大学に進学してから起きた出来事をほぼ全て話してくれたかもしれない。
ところが私はただぼんやりと聞いているだけで、終いには自室にこもってしまった。
逃げることもできるのかもしれない。
ちょっとお母さんの声を聞きたくなったから帰ってきただけ。
明日からまた大学でがんばるよ。
明後日は就職説明会があるから緊張する。
…などと言えば、この場をなんとかしのげるのかもしれない。
でも…
今、母に言えなかったら、たぶんこれから先も言うことができないと思う。
何度もシュミレーションはしてきた。
まずは、定型発達症候群かもしれないと悩んでいることを打ち明ける。
そして、障害の説明をして、診断のために病院に通っていることを言う。
それから、私の幼少期のことを教えてほしいとお願いする。
大丈夫。
たくさん反論されるかもしれない。
私に障害があることを頑なに認めないかもしれない。
本や当事者のブログでそういうことがたくさん書かれていた。
覚悟している。
行け…!!
「お母さん、あのね、私、定型発達症候群っていう障害があるかもしれないって悩んでるんだ。」
母は口を開けたまま何も言わない。
わからないのだろう。
「定型発達症候群」はまだ認知度の低い障害だ。
聞いたことがない人も多い。
「定型発達症候群っていう障害については私も最近知ったの。定期発達症候群のことをまためたレジュメを作ったから今見せるね。ちょっと待っててね。」
私は自室に事前に作っていたレジュメを取りに行った。
母は同じ場所で、口を少し開けたまま固まっていた。
母がことばを発しないのは珍しい。
動揺しているのだろうか。
私は「定型発達症候群」に関して調べたことや通院先の先生の話などをまとめたレジュメを母に見せながら、「定型発達症候群」に関する自分が持っている知識の全てを母に伝えた。
母はただ黙ってレジュメを見ながら聞いていた。
…と思う。
怖くて母のほうは見ることができなかった。
でも視野に入っているからきっと真剣に聞いてくれているのだろうと思う。
とにかく夢中で説明した。
そして…
「私、やっぱり定型発達症候群だと思うんだ。まだわからないけれど。でも、診断してもらいたいと思う。定型発達症候群の障害者としてサポートを受けながら、働きたいと思ってる。定型発達症候群の診断が下りなかったら、先のことはまたそのとき考える。だから、お母さん、私の幼少期のときのこと教えて?この書類に私のこと書いて?」
母のほうを見てみた。
母は…
ただ涙を流していた。
この小説は、「定型発達症候群」というすでに存在していることばをもとに構成された、フィクションです。
「定型発達症候群」という障害は実際には存在しません。
参考文献
自閉症スペクトラムとは何か: ひとの「関わり」の謎に挑む (ちくま新書)
続き
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