2回目の通院日にはたくさんの書類をわたされた。
「定型発達症候群の診断には、幼少期のあなたのようすを知る必要があります。あなたご自身にも思い出して書いてもらう必要がありますが…」
先生の眉と眉のあいだが狭くなった。
先生は少し困っているらしい。
「あなたの親御さんにもいろいろと書いてもらう項目があります。親御さんにはこの病院に通っていることを伝えていますか?」
そういうことだったのか。
うわさには聞いていたが、どうやらここが診断してもらうための第一関門らしい。
私はまだ、親に定型発達症候群かもしれないと悩んでいることを打ち明けていない。
そもそも大学に進学してからあまり連絡を取っていなかった。
親にどうやって伝えようか…
頭の中でいろいろと考えてみたが、いい案は思い浮かばなかった。
でも…
「次の通院日までに母にこのことを伝えます。それで書類を書いてもらいます。」
ここで挫折するわけにはいかない。
せっかく病院の初診予約もして、半年も待って、やっと理解してくれそうな先生にお会いできたんだ。
ドクターショッピングをする当事者も多い中で、私は運良くこの先生に最初の病院で出会えた。
この幸運を手放したくはない。
「無理はなさらないでくださいね。もしどうしても親御さんから了承を得られない場合は、少し手間と時間もかかりますが、他の検査などと組み合わせることもできますから。」
先生は優しい。
うわさ通りの病院だった。
この病院は定型発達症候群の方を専門に診ているのだ。
私のように親に言わずにやって来た患者も少なくないのだろう。
でも、親に言わずに診断してもらうのは至難の技らしい。
自分の幼少期の頃のことは親にしかわからないことも多い。
私は少し焦っているのかもしれない。
できれば就職するまでに診断をしてほしい。
「はい。でもまずは親に伝えてみます。この書類やインターネットのサイトも見せて、定型発達症候群のことや私がその可能性があるかもしれないことをわかってもらえるようにがんばります。」
3日後
私は久しぶりに実家に帰った。
あの通院から帰宅してすぐに親に連絡をしたのだった。
意外にも母は安心しているような声をしていた。
声はいつもより少し高くて、ゆっくり話してくれた。
何度も何度も「晩ごはんにハンバーグを作って待ってるね!」と言ってくれた。
私は母の作ったハンバーグが大好きだ。
そういえば、大学に進学してから全然食べていなかったな。
病院に通い始めてから気づいたことだが、私は顔を見ること以外にも、相手の声の高さや話す速さなどでも相手の気持ちを知ろうとするらしかった。
無自覚だったので、自分の新しい側面を発見したようでうれしい反面、やはり健常者はこんなことをしないのだろうなと悲しくなった。
そんなことを考えていたら、電車は実家の最寄り駅に着いたようだった。
久しぶりの地元だ。
いやなことがたくさんあったから、本当はもう二度と戻りたくないと思いながら出て行ったが、久しぶりの地元に懐かしい気持ちになった。
まだこのお店あるんだ…
あれ、こんなところにマンションなんかあったっけ?
…とあれこれ懐かしんでいると、実家にたどり着いた。
長いあいだ帰ってないのに帰り方は忘れないんだなぁ…
ふーっ………
私は深く長い息を吐いた。
(…もしどうしても親御さんから了承を得られない場合は、少し手間と時間もかかりますが、他の検査などと組み合わせることもできますから…)
そうだ。
何も今日に人生の全てがかかっているわけではない。
幼少期のときのことなら私も覚えている。
物心ついたときから自分だけこの世界に馴染めていないような気がしていたから。
大丈夫。
親がわかってくれなくても、
時間はかかっても、
私は今までずっと抱えてきた苦しみと向き合うことができるんだ。
ピンポーン…
私は自分の決意を揺るぎないものにするかのようにインターフォンを押した。
この小説は、「定型発達症候群」というすでに存在していることばをもとに構成された、フィクションです。
「定型発達症候群」という障害は実際には存在しません。
参考文献
自閉症スペクトラムとは何か: ひとの「関わり」の謎に挑む (ちくま新書)
続きはこちらです。
スポンサードリンク