おはようございます。
おしゃべり大好きふくです。
はなしが長いとよく言われます…。
そんなわたしのはるか上を行く親戚の方がいたことを思い出したのでブログに書きます。
うるさいおばちゃんとの出会い
うるさいおばちゃんとは小学1年生のときに出会いました。
うるさいおばちゃんという呼び名は本人がいないところで大人たちが彼女のことをそう呼んでいるのでした。
まぁ…
子どもの前で陰口をいう親戚一同もどうかと思うのですが…
このうるさいおばちゃんはなかなかのつわもので…
人の心に土足で入ってきてつらい過去をほじくり返すようなこともしつこく聞いてくる人なのです…
そんなうるさいおばちゃんがわが家にやって来たとき、わたしはお母さんに促されピアノを披露することになりました。
小学1年生のピアノ演奏なので、大人が聴いても聞き応えのようなものはないかもしれません。
ですが子どもなりのおもてなし精神のようなものにうれしさを感じるのが一般的な大人だと思います。たぶん。
子どものピアノ演奏に対してたとえ演技でもポジティブな振る舞いをするのが良識的な大人だと思いますね。
ところが、そのうるさいおばちゃんはわたしのピアノ演奏が終わったとたん…
はい、じょうずじょうず(棒読み)
ふくままさん、この家具おしゃれやねー?!
どこで買ったん?!
小学生のわたしは妙な気持ちになりました。
こんなあからさまにわたしのピアノ演奏をめんどくさそうに処理する大人をはじめて見たので…
うるさいおばちゃんの恐怖政治
そんなうるさいおばちゃんは、おうちではおそらくとんでもない暴君だったのかなと思います。
ふくままのいとこでありうるさいおばちゃんの旦那さんは本当はとても面白い人だったはずなのですが、月日が経つごとに無口になっていきました。
ここでは元ユーモアおじさんと呼ぶことにしましょう。
この元ユーモアおじさん、わたしが小学生のころは冗談を言って周りの人たちを笑わせたりするユーモアな方だったと思います。
ですがわたしが高校生になるころにはすっかりおとなしくなってしまっていました。
この元ユーモアおじさんの実の母である奈良のおばあちゃんもまたうるさいおばちゃんの存在に萎縮してしまっていました。
わたしが地元の進学校に合格したときのことです。
わたしが高校に合格した一ヶ月くらいあとに法事があり、親戚一同が集まることになりました。
ですがうるさいおばちゃんと元ユーモアおじさん、奈良のおばあちゃんはわたしの高校合格についてひとことも触れてくれませんでした。
そのままお別れするのかなと思ったとき…
奈良のおばあちゃんがうるさいおばちゃんの目を盗んで、サッとわたしに近づいてきてくれて、
合格おめでとう…!!
と言ってくれました。
すごくうれしそうにお祝いしてくれたのですが、それはほんの一瞬で、おばあちゃんの声はとてもとても小さな声でした。
うるさいおばちゃんと元ユーモアおじさんは結局ひとこともお祝いのことばを言ってくれませんでした。
うるさいおばちゃんにならないために
人の不幸は蜜の味…
人の幸せは妬ましい…
常に自分が話題の中心でありたい…
自分がいちばんじゃないと気に食わない…
うるさいおばちゃんはこんな感じの人だと思います。
もしかしたらいいところもあるのかもしれませんが、親戚一同から相当煙たがられていたので、まぁあまりいい人ではなさそうです。
わたしの母であるふくままは実父がいないのですが、そのことについても母にねほりはほり聞いて母をうんざりさせていたそうです。
母の半生については別のブログに書いています。
このブログの最後にリンクを貼っておきますのでもしよろしければご覧ください。
どうしたらうるさいおばちゃんにならなくてすむのでしょうか。
わたしなりに考えてみました。
- 週刊誌のように人の不幸をかぎまわらない。
- 自分以外の人に花を持たせてあげる喜びを知る。
- たとえ家族であっても自分以外の人を干渉しない。
…このくらいしか思いつきませんでした。
皆さんのまわりには厄介な親戚っていましたか。
うるさいおばちゃんみたいにならないために気をつけていることはありますか。
できれば自分も周りの人も幸せになるような年の重ねかたをしたいものですね。
わたしの母ふくままの半生を書いたブログ
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