発達障害者ふくの徒然草

発達障害者であるふくの個人的な障害特性に伴う困り感やそれに対してどうアプローチして緩和させているかを徒然なるままに書き留めています。

【発達障害当事者が考える発達障害児の育児】ふくままの名言(?)集

 

おはようございます。

ブログのネタを思いついたらすぐにメモをしないと忘れてしまうふくです。

 

湯船に浸かっているときや電車に乗ってぼーってしているときに、いろいろと思いつきます。

湯船にメモはさすがに持って入れませんね。

 

今日は、発達障害者ふくの生みの親であり、育ての親である、ふくままのことをめっちゃいい感じに紹介したいと思ってます。

試される己の文章力…

ぶるぶる…

 

 

では…

 

ふくままの名言(?)集

 

ご覧ください!

 

 

  • 「せまい日本、そんなに急いでどこ行くの?」やで。
  • ふくちゃんの傘は安いものを買ってるから大丈夫!
  • 堂々と生きなさい。

 

 

 

「せまい日本、そんなに急いでどこ行くの?」やで。

 

私はADHD当事者でもあります。

遅刻は多いです。

 

忘れものがきっかけになって遅刻するパターンもよくあります。

空間認知能力が低いので、道に迷って遅刻するパターンもあります。

 

めちゃくちゃ気をつけているのですが、やっぱり遅刻をしてしまうときはあります。

できるだけ頻度と程度を抑える努力をしています。

 

それでもやっぱりたまにやらかしてしまいますね。

 

落ち込みます。

さまざまな工夫が実らなかった結果なので。

 

そんなときに母は、けろっとした顔で、こんな風に言ってくれます。

 

日本は狭いんだから、そんなに急いだって人生楽しくないよ。

狭い日本、そんなに急いでどうするのって言うやん?

 

母との待ち合わせに遅れてしまったときですら、こんな風に言ってくれるのです。

 

母はかなり待たされています。

 

いやな気持ちに何度もなっていると思います。

 

でも、笑顔でいつもふくを受け入れてくれます。

 

母の優しさに甘えて遅刻ばかりではいけないと思います。

でも、遅刻しても許してくれる母がいるから生きていてもいいんだと思えます。

 

甘えてばかりもよくありませんが、緊張と不安に四六時中苛まれる人生もまたよくないと思います。

 

甘えすぎず、緊張しすぎず…

 

ちょうど良い心持ちで生活できているのは母のおかげです。

 

 

ふくちゃんの傘は安いものを買ってるから大丈夫!

 

ふくはADHD当事者です。(n回目)

なので忘れものも多いです。

持っていくのを忘れるよりも、持って帰ってくるのを忘れることが多いです。

かばんを電車に置き忘れたことも何度かあります…。

駅員さん、ご迷惑おかけしてごめんなさい。

 

傘は断トツで置き忘れます。

しかもどこに置き忘れたのか忘れてしまう率が高いのも傘です。

両手では数え切れないほどの傘をなくしています。

 

しくしく…

 

家計にも負担なのでは?

…と学生のときに思いました。

 

一度めちゃくちゃ真剣に謝ったことがあります。

もはや半泣きです。

 

ですが、そんな半泣き状態のふくに対して、母はにっこり笑って言いました。

 

もう、お母さんはね、ふくちゃんが傘を置き忘れることはわかってるの。

だからもう、ふくちゃんの傘はものっすごい安い傘を買うことにしてん!

だから大丈夫!

安い傘だからいつなくしてもいいよ!

 

えっ…

 

最初に聞いたときは複雑な心境でした。

 

ですが、今から考えると、わたしが緊張を強いられる日常から少しだけ解放されるきっかけのことばとなりました。

 

こんな風に言われると、馬鹿にされているように感じる当事者さんもいるかもしれません。

 

人によると思います。

 

ただ、わたしの場合は、高価なものをなくしたりして悲しい気持ちになったり、そのものをわたしにくれた人を悲しい気持ちにさせるほうがよっぽどつらいです。

 

なので、わたしの場合は、この言葉に救われました。

 

 

堂々と生きなさい。

 

このことばは、発達障害の診断をされた翌年くらいに言ってくれたと思います。

 

わたしはアルバイト先へ向かうため、いつもの電車に乗りました。

 

ですが、電車に乗った瞬間、ピアニカだけが置かれた席が目に入りました。

周りは大人だらけです。

 

…もしかしてさっき電車から降りていって子どもたちの中に、このピアニカの持ち主がいるかもしれないと思いました。

 

ふくはADHD当事者です。(n回目)

電車の置き忘れはめちゃくちゃ悲しいです。

傘とは違い、ピアニカはそれなりに値段もすると思います。

その子がお母さんに怒られてしまうかもしれません…

 

わたしは、すぐにピアニカを手に取り、電車を降りました。

 

ピアニカの忘れものをしていませんか?

 

大きな声で子どもたちに問いかけてみました。

 

反応はありません…

 

どうしよう…

 

あっそうだ!

ピアニカのケースに名前が書いてあるかもしれない!

 

案の定、書いてありました。

きれいなひらがなでした。

 

◯◯◯◯◯さーん?

 

大きな声で名前を呼びました。

 

名前を呼ばれたら恥ずかしい思いをするかもしれないと思いました。

ですが、ピアニカをなくしてしまって、しょんぼりしたり、お母さんに怒られたりしてしまうよりはましだろうと思いこむことにしました。

 

1人の女の子がわたしの元へやって来てくれました。

ピアニカの持ち主のようです。

名前を確認するとうなずいてくれました。

大きな声で名前を呼んだことを詫びました。

許してくれたと思います。

気をつけて帰ってねというと元気にお返事をしてくれました。

 

ふくはADHD当事者です。(n回目)

ですがこの日はきちんと早めの電車に乗る予定をしていたので、アルバイト先にも遅刻せずにすみました。

 

いつも通りアルバイトをがんばって帰路につきました。

 

そして、なんとなくこの話を母にすることにしました。

 

子どもの気持ちを考えるとあんまり大きい声で名前を呼ばれたら恥ずかしいかもしれないと思いつつも、やっぱりピアニカをなくすことよりはましだろうと思って…

 

など半分ひとりごとのようにぶつぶつ話していたと思います。

 

…ん?

母は聞いてくれているのだろうか?

 

ふと顔を上げて母を見ると、母はぼろぼろと涙をこぼしていました。

 

えっ?!

なんで泣いてるんだ??!

 

…と思いました。

 

どうやらわたしの勇気ある行動に感動してくれたようでした。

 

そして…

 

ふくちゃんは…

障害が…

あるかもしれないけれど…

これからも…

堂々と…

生きていきなさい。

 

…その言葉を聞いて、わたしも泣いてしまいました。

 

発達障害について毎日毎日調べて、毎日毎日「他人の気持ちを汲み取りにくい」,「他人の

立場を察することが難しい」という文言を目にしてきました。

 

自分はそんなにひどい人間なのかと落ち込みつつある時期でもありました。

 

もしかしたら、母も同じような気持ちだったのかもしれません。

いや、それ以上に辛かったかもしれません。

 

発達障害について調べる苦しみ。

娘が大人になるまで発達障害に気づかなかった親としての苦しみ。

 

そんな時期だったからこそ、母の言葉に重みを感じました。

 

人の気持ちを理解することが難しいのかもしれない。

わたしにはそういう特性があるのかもしれない。

でも、これからも今日みたいにいっぱい考えて、そのとき最善だと思う選択をすればいい。

だめだったら謝ろう。

 

発達障害があっても、

真っ当に生きていこう。

 

堂々と、してしよう。

 

母のことばは、わたしが死ぬまで、わたしのことを支えてくれると思います。

 

お母さん、ありがとう。

 

 

 

いかがでしたか?

育児のヒントになりますかね?

どうなんでしょう?

 

わたしは発達障害の子どもを育てたことがないので、その大変さはわかりません。

 

ですが、発達障害の子どもとして生きる苦しさは少しだけわかります。

 

障害程度によって苦しみの形はそれぞれちがうと思いますが、わたしは共通の苦しみもあると思っています。

 

それは…

 

自分のせいで誰かが辛そうにしている苦しみです。

 

どんな障害であっても、自分の障害特性ゆえに、周りの人が辛そうだったり、悲しそうだったり、何かしらの不利益を被っていたりすると、生きているだけで悲しい気持ちになります。

 

反対に、自分が何かしたことで、周りの人たちが幸せそうだと、私も幸せだなと思います。

 

私の母は、私が感じる苦しみを和らげようとしてくれますし、私が感じる喜びを共有しようとしてくれます。

それでもたまに上手くできなくて落ち込んだりしています。

 

私は理解してもらえないことに慣れている節があるので、あまり気にならないのですが、母は私の障害特性ゆえの困り感に気づかなかったときに少し落ち込むようです。

 

母が落ち込むとびっくりします。

悲しい気持ちになります。

でも私のことをこんなに思ってくれる人はそうそういないので、ほっとした気持ちにもなります。

 

理解されないことに慣れている。

誤解されることに慣れている。

 

…自分にとって大切な人がこんな風に思ってたら、なかなかショックですよね。

 

私はでもやっぱり慣れてしまっているので、母にはあまり落ち込んでほしくないです。

母は私の子育てをがんばってくれています。

もう私はいい大人で、子どもじゃないのに、まだ私のことを育ててくれています。

 

ありがたい存在です。

 

慣れてしまった悲しみがあるからこそ、母の思いに気づいて心の底から幸せな気持ちになります。

なかなか気づけないことも多いのですが、母の思いに気づいたときはとてもうれしいです。

 

またおいしいスイーツでも買って、お母さんと一緒に食べようと思いました。

 

 

 

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