こんばんは。
目もとに大きなデキモノが2つもできてしまい、悲しみに暮れているふくです。
このブログもいよいよ50記事を投稿するに至りました。
おめでとう、ワタシ!!
パチパチパチー!!
…というわけで今回の記事も明るい気持ちになる内容を書こうと思います。
出だしはやや暗めです←
- 年下さんたちとの大学生活
- 友だちゼロから脱出するため一大決心!
- 社会福祉を学ぶ者としての矜持
- いけずな年上ふく vs 純真な年下の友
- 友へ
年下さんたちとの大学生活
訳あって、大学受験浪人を経験した上に、再受験までしてしまいました。
要するに卒業した母校とは別の大学を中途退学しているということですね(苦笑)
しかも大学中退と再受験のあいだの時期にフリーターまで経験しています。
お父さん、お母さん、ごめんなさい。
…無事に大学に合格したものの、進学先で待っていたのは、自分よりも年下の人たちに囲まれカルチャーショックを経験する日々でした。
twitterもLINEも彼らの文化に適応しようともがき苦しんだ日々の産物です。
今はめっちゃ楽しんでます(笑)
受験前からわかってはいたのですが、高校を卒業したてで定期券の使い方もイマイチわかっていないらしい年下の子たちから、いきなりタメ口で話しかけられると、山よりも高く海よりも深いふくのプライドはボロボロになりました。
初対面ではとりあえず丁寧語を使うんじゃないの?!
上座とか下座という概念はないのですか?!
初対面ですぐに連絡先交換するの怖くないですか?!
twitterって何?
LINEやってる?
交換しよ?
QRコード出して?
???(╹◡╹)???
友だちゼロから脱出するため一大決心!
入学したての頃のふくは、年齢が上というだけで、勝手に同級生たちよりも経験値が高いはずと思い込み、心を閉ざしていました。
負け惜しみですかね。
本当は気づいていました。
年齢が若くても、志が高く、行動力もある人たちがたくさんいることに。
年齢に関係なく、私は彼らから学ぶべきことがたくさんあるということに。
変なプライドは捨てなければいけません。
そして、何よりも、
友だちが一人もいない大学生活は寂しいーーー(大号泣
というわけで、友だちになってくれそうで優しそうな年下ちゃんに自分から話しかけることを決心しました。
緊張する(ブルブル
あんまりおもしろくなさそうな般教の授業を終え、今日も一人で昼食か…と意気消沈しながらお弁当を開けようとしたところに、今回のブログで紹介する彼女がいました。
一緒にお昼ごはんを食べましょうって誘うチャンスーーー!!
ふく「あ、あの…もしよかったら…一緒に、お昼でも…。あっいや、他にお昼ごはんを食べる友だちがいるなら、全然よくて…(汗)なんか急にごめんね(滝汗)」
THE 挙動不審
友「えっと…。うん。大丈夫だよ。ちょっと待ってね。一緒に食べよう。」
年下ちゃんをめっちゃ困惑させてしまいました。
とはいえ、その後ぎこちないもののそれなりに穏やかなお昼休みを一緒に過ごしました。
お昼ごはんを誰かと一緒に食べたことが久しぶりすぎてうれしかったです。
お昼休みも終わりに差し掛かり、そろそろお別れのとき…ということにとんでもないことが発覚しました。
なんと…
彼女と私は同じサークルに入っていたので、話しかけなくてもいずれ出会うことになっていましたとさ。
彼女と出会う数日前にそのサークルで、新入生歓迎会があったのですが、私が帰ったあとに彼女がやって来たようです。
ニアミス…
私の一大決心はなんだったのだろうか…
社会福祉を学ぶ者としての矜持
彼女は芯の強さと繊細さを持ち合わせている女性でした。
入学して間もない頃から、さまざまな社会的マイノリティの人たちが暮らしやすい社会にするための発信を彼女なりにしているように見えました。
ですが、発信する強さしか持っていないというわけではありません。
受信することの大切さも理解しているようでした。
社会的マイノリティとして生きる当事者の声に耳を傾ける
…これはとても難しいことです。
私は発達障害当事者であるにもかかわらず、他の社会的マイノリティさんについてはまだまだ勉強不足だと言わざるを得ません。
でも彼女はいろんな人たちの話をよく聞きます。
自分自身の発信量とは比べものにならないくらい、受信量も多いと思います。
傾聴力というのでしょうか?
彼女にはその力があります。
出会って間もない頃、私は彼女にこんなことを伝えました。
本や論文から得られる知識も重要だけど、そこから得た情報に囚われて、その専門知識の枠に当事者を当てはめようとしないでほしい。
当事者の声を聞いてほしい。
当事者の声には本や論文には書かれていないことがあるけれど、書かれていないからといって当事者の声を無きものとして扱わないでほしい。
まぁ実際はもうちょっと私の日本語は下手だった←
でも、彼女にはそんなことを言う必要はなかったかもしれません。
むしろ、これを彼女に伝えたことによって、私のほうが恩恵を受けることになりました。
彼女が私の言ったことを今もずっと覚えていて、時折意識的に思い出してくれるようです。
うれしいですよね。
1回しか言ってないことを、何年経っても覚えていてくれるなんて…
いけずな年上ふく vs 純真な年下の友
そんな彼女ですが、あるとき社会福祉学の課題を目の前にしてとても悩んでいたようです。
私はその講義を受講していないので詳しくは知りませんが、障害または障害者とは何かというようなシンプルな課題だったと思います。
シンプルな課題ほど難しいものはない。
そのとき、私に少しだけいじわるな気持ちが芽生えました。
そして、難しい課題を前にして頭を抱える彼女にこんなメッセージを送りました。
ふくは障害者ですか?
彼女がより一層困るであろうことを想像しつつ、がんばりたまえ、若者とほくそ笑んでいました。
ところが、彼女からすぐに返事が返ってきました。
えーーー!!
わからない。
でも…
ふくちゃんはふくちゃん!
…驚きましたね。
私のほうが障害に囚われていたような気がしました。
私は障害者なのか障害者じゃないのか。
障害の有無が私のアイデンティティの重要な要素かのように錯覚していた自分に気づきました。
そうか、私は私なんだな。
そう思えるようになりました。
この社会で生きづらさを感じたときや、苦しくなったとき、自分を見失ってしまいそうなとき、いつも彼女のこと言葉を思い出します。
友へ
出会ってくれてありがとう。
ときには同じ歳の友だちとして、ときには年上の友だちとして、いつも尊敬の気持ちを失わないあなたを、私も尊敬しています。
私の発達障害ゆえの困り感に対しても、さりげなく気づき、さりげなくサポートしてくれていましたね。
たぶん、私が気づいた分よりも、もっともっと多くのサポートを私はあなたからもらっているんだと思います。
ありがとう。
…と直接言えるようにがんばりましょう(笑)
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