こんにちは。
ブログのタイトルがいつになくメルヘンなものだったのですが、やはりタイトルだけ読んで勘違いされたままブログを読んでいただけないととても辛いので、タイトルをあとから変更しました。
変更前のタイトルでは「ぬいぐるみとお話しします」というようなことを書いていました。
まぁでも実際にぬいぐるみが自発的に話し出すということはなく(それは怖い)、ちょっと変わった(だいぶ変わった)ひとりごとのようなものですね。
世の中の皆さまから見たら、やや奇妙に見えるのかもしれません。
あぁ…
そこの読者さま、行かないでー!!
…去りゆく人は去りますね。
モテる人というのは来るもの拒まず去る者追わずのスタンスだそうです。
…私はモテたいわけではないので、去りゆく読者さまの背中をいつまでも涙目で見送ります。
このブログを最後まで読みたいという読者さまは、どうぞ最後までお付き合いくださいませ。
読んでよかったと思っていただけるような記事を書きたいです。
そもそも「ぬいぐるみと話す」とは?
まず「ぬいぐるみと話す」とはなんぞやというところから書きます。
「ぬいぐるみと話す」とは、ぬいぐるみを抱えて、目と目を合わせ、ぬいぐるみ専用の声をあてて、会話をしているように、ひとりごとを展開することです。
改めて文章で説明すると、恥ずかしいですね。
ですが、この実際に声を出すというところがポイントだと自分では思っています。
普段の自分の声とはちがう声でです。
赤ちゃんとコミュニケーションを取るときのやり方と少し似ています。
それを自分のために自分でやります。
NUIGURUMI
OF MYSELF
BY MYSELF
FOR MYSELF
by.フクカーン
「ぬいぐるみと話す」と考え方が柔軟に?
何のためにそんなことをするのか。
そう!
自分自身のためです!
自分一人で頭の中でぐちゃぐちゃ考えていると、いつまで経っても脳内に新しい風が吹きません。
似たような考えばかりが脳内に溢れて、あっという間にネガティブな気持ちで脳内が充満します。
もちろん、そんなことがない方はたくさんいると思います。
ですが私はネガティブさんなので、一度悩み始めると同じような考えばかりが浮かびます。
そんなときはぬいぐるみの出番です。
機械的に自分の考えとは真逆のことを、「ぬいぐるみに話して」もらいます。
たとえば、きっと私はAさんに嫌われたに違いない…次に会うときどうしたらいいかな…などということで悩みだしたとします。
そんなとき、ぬいぐるみに「そもそもAさんは本当にふくちゃんのことがきらいなの?」と問いかけてもらいます。
自分一人ではこの考えにたどり着けません。
ネガティブあるある?
なので、国語の試験で反義語を問われたときに答えを書くような気持ちで、ぬいぐるみに自分の思っていることとは真逆のことを言ってもらいます。
すると…
少し落ち着きます。
そうか…
もしかしたら大前提から間違っているのかもしれない。
Aさんがわたしのことをどう思っているかはわからないな。
とりあえず、明日会ったらあいさつはしよう。
それで相手が笑顔で挨拶を返してくれたらそれでいいじゃないか!
…と思えるようになります。
「心の理論」と発達障害の関連性
発達障害の特性の一つに「自分とはちがう他者の立場を察することが難しい」というものがあります。
「心の理論」というものが関わってくるようですね。
ごくごくかいつまんで書くと、「〇〇について自分は知っているが相手は知らないということを自分は知っているかどうか」ということです。
発達障害には、この「自分は知っているが相手は知らない」ということを理解することが難しい特性があるといわれています。
「心の理論」についてこれ以上説明すると、もはやブログではなくなる気がするので割愛させてください。
気になる方は「サリーとアン課題」で検索してみてくださいね。
「ぬいぐるみと話す」と他者の立場がわかる?
私たち発達障害者は、自分は知っているが相手は知らないという事実に気づきにくいようです。
他者の視点を取り入れるのが難しいなかもしれません。
そんなときもぬいぐるみの出番です。
ぬいぐるみに主語をいちいち入れてもらいます。
声を出さずに頭の中でぐちゃぐちゃ考えていると、知らぬ間に「私」で始まる主語の文章であふれかえります。
日本語の特徴として主語がなくても文が成立してしまうので、「私は」が知らぬ間に欠落していきます。
ひとりで考えているうちに
- 自分の考えなのか
- 多くの人が共有する一般的な考え(いわゆる常識)なのか
- 友人の考えなのか
何を考えているのかわからなくなります。
そんなときにぬいぐるみ用の声で「それは誰のことなの?」という音声を発して、自分の耳に入れます。
そうすることで少し冷静なり、今まで考えていたことを私の考えと私ではない他者の考えとを分けて考えられるときも多いです。
そうしていくうちに、「〇〇について自分は知っているが相手は知らないということを自分は知っている」事柄に気づけることもあります。
まとめのようなもの
このブログを読んでくださっている方は発達障害をお持ちではない方が多いのでしょうか?
発達障害的特性がないと、この文章でわたしが何を伝えたいのかわからないかもしれないですね。
少し専門的な話になってしまいました。
「心の理論」は複雑なので、私も入門的な知識しかありません。
申し訳ないです。
ですが、発達障害特性の根幹とも言える特性なので、今回ブログにしてみました。
もし今後何か新しいことがわかったり、伝わりやすい良い表現を思いついたりしたら、またブログに書きますね。
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