発達障害者ふくの徒然草

発達障害者であるふくの個人的な障害特性に伴う困り感やそれに対してどうアプローチして緩和させているかを徒然なるままに書き留めています。

【大河ドラマ『麒麟がくる』の「麒麟」についての考察】『国盗り物語』を参考に

 

おはようございます。

大河ドラマ麒麟がくる』が始まるまでに『国盗り物語』を読み終えたいとか言っていたふくです。

 

...全然無理でした。

数日前に読み終えました(笑)

 

総合的な知識力を試されている感じがしました。

わたしのような教養なしの凡人が読むと5ヶ月くらいかかります。

100回くらい心折れます。

 

やっと読み終えたので『国盗り物語』の感想と大河ドラマ麒麟がくる』の麒麟とは何だろうかということをわたしなりに考えてみました。

 

 

 

 

国盗り物語』の感想

 

まずはせっかくがんばって読んだので、『国盗り物語』の感想を記録しておこうと思います。

古典や地理に明るい方は1ヶ月くらいで読めると思いますので、この機会に読んでみてください。

個人的には学校が休校になってしまって暇をもてあましているであろう男子高校生に読んでほしいです。

 

 

斎藤道三がのし上がるまで

 

まずは第1巻目の「斎藤道三 前編」について。

読んでいて気持ちがいいのがこの第1巻だと思います。

テンポ感があるのもこの第1巻の特徴だと思います。

 

のちの斎藤道三である松波庄九郎がいかにして一国の主たる地位を築いたのかがわかります。

やはりどの時代においても新しい考えかたや柔軟な発想の持ち主がのし上がっていくんだなと思います。

 

この第1巻、古典や地理の知識がある方は何の問題もなく読めますが、このあたりの知識が乏しいと読むのに大変苦労します。

 

「わたし」や「ぼく」などの主語にあたることばが「某(それがし)」の時代です。

某のルビはありません。

 

また旧地名元号がバンバン登場しますので、わたしのような地理も日本史も古典も苦手な凡人はいちいちスマホで調べるハメになります。

天文○年って西暦何年ですか(泣)

 

スマホがなければ確実に挫折していたことでしょう。

便利な世の中になりましたね。

 

また、斎藤道三の戦術が斬新なこともあってか、空間認知能力も要ります。

わたしはわからなさすぎて、メモ帳に山や川を描きながら読みました(笑)

 

ただ、この第1巻さえ乗り越えれば、そのあとは比較的スムーズに読めますので、わたしのような凡人さんはここが踏ん張り時です。

高校生の方はこの本を読むと古文や日本史,地理の知識が身につくように思います。

 

 

斎藤道三の負の側面

 

斎藤道三も完璧な人間ではありません。

この第2巻では斎藤道三の負の側面が徐々にあらわになります。

伏線は第1巻ですでにあったのですが...。

 

この第2巻、ほかの巻と比べると歴史はそれほど大きく変わりません。

ですが、斎藤道三の思想や人となりが司馬遼太郎独自の観点で描かれているので、とても重要な巻だと思います。

いわゆる「司馬史観」がもっとも顕著なのが、この第2巻だと個人的には思います。

賛否両論はあると思いますが、わたしは「司馬史観」が好きです。

 

大河ドラマ麒麟がくる』の「麒麟」について考えるにあたってこの第2巻をいちばん参考にしました。

 

 

織田信長の成長と明智光秀の苦悩

 

国盗り物語』の第3巻ではいよいよ織田信長が主要な登場人物として描かれます。

副題が「織田信長 前編」ですからね。

 

最初は周りから「たわけ者」として散々馬鹿にされます。

父親の織田信秀と養育係的存在の平手政秀だけが信長の数少ない理解者でした。

 

が、この二人はかなり早い段階で亡くなります。

そのため織田信長の精神的な拠り所がない日々は、読んでいてつらかったです。

 

そんな信長の新たな理解者が斎藤道三というわけですね。

織田信長斎藤道三の「革新的な考えかた」を継承していくことになります。

 

その一方、斎藤道三は甥にあたる明智光秀にも期待を寄せています。

ここが『麒麟がくる』とはちがう描写なので第1話を視聴したときは少し驚きました。

 

光秀は斎藤道三から「古典的教養」の部分を受け継ぐことになります。

 

この第3巻は「織田信長 前編」なのですが、前半部分は斎藤道三が亡くなるまでの経緯が丁寧に描かれています。

また、作者である司馬遼太郎自身もこの巻で述べていますが、光秀にかなり肩入れしています。

そのため、副題は「織田信長 前編」なのですが、読者の多くが明智光秀に共感してしまう場面も多いと思います。

 

 

すれちがっていく二人...

 

さて。

最終巻です。

 

織田信長 後編」という副題にもかかわらず、ほぼ明智光秀視点で物語が進行します。

 

もはや明智光秀が主人公なのでは?

 

...と個人的には思いました。

 

この最終巻については、ほかの巻よりも客観性のない記述になると思います。

まぁ、感想なんでね。

自由に書かせてください。

 

後半は、明智光秀ブラック企業に追いつめられていく...という感じです。

信長がワンマン社長に見えます。

光秀は最終的に精神的に追いつめられて、自暴自棄になってしまったようにも思います。

最後は信長を殺すか信長に殺されるか...みたいな究極の選択を迫られている風にも感じました。

 

信長は信長独自の評価軸で光秀を評価していたんですよね。

それがいまいち光秀には伝わらなかった...。

 

また、信長の評価の仕方が「人を機能として」見るという徹底的な実力主義なので、後半は読んでいてつらくなります。

信長の徹底したルール遵守の考えや成果主義について行けない人は多いと思います。

信長自身も行き過ぎていることにうすうす気づいていたから光秀の謀反に対して反撃しなかったのかなと個人的には思います。

 

国盗り物語』だけでは織田信長の人物像を把握するのが難しいように思いました。

 

 

 

スポンサードリンク

 

 

 

 

大河ドラマ麒麟がくる』の考察

 

ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。

ここまでで2500文字です。

 

ここからは大河ドラマ麒麟がくる』の「麒麟」について考えたいと思います。

 

 

麒麟」は斎藤道三の遺産?

 

麒麟がくる』では斎藤道三親子二代説が採用されていますね。

 

斎藤道三だけでは「麒麟」を連れてくることができなかったんですね。

そもそも本人は「麒麟」を連れてくるつもりはないのかもしれませんね。

斎藤道三は世を平らかにすることよりも、自分自身の野望を満たすことに生涯をささげてきたのかなとも思います。

 

ただね...

 

オープニングのクレジットが気になるんですよね。

オープニング曲とともにキャストやスタッフなどの名前がズラリと並べられるあれです。

 

ここ最近の傾向を見てみると、最後のキャストがキーパーソンで、死後も主人公に話しかけてきたり(??!)、回想シーンが多いじゃないですか?!

 

西郷どん』の渡辺謙さんや『いだてん ~東京オリムピック噺~』の役所広司さんが、何度も登場していますよね。

 

なので、今回の『麒麟がくる』でも本木雅弘さん演じる斎藤道三が死後も度々登場して、主人公に話しかけたりしちゃうのかなと思っています。

 

また、先ほどの『国盗り物語』の感想でも触れましたが、斎藤道三の思想を織田信長明智光秀がそれぞれのやりかたで継承し、その思想を強化していくことになります。

 

それぞれの強みが共鳴したからこそ信長は天下統一を成し遂げられたのではないかと個人的には思いますね。

わたしもかなり明智光秀びいきになりました(笑)

 

ただ、信長の強みと光秀の強みは、歴史が進むにつれて互いが互いの精神をすり減らすようになっていったのではないかと思います。

 

だから...

 

麒麟」を呼ぶためには、世の中が平らかになるためには、織田信長明智光秀も両者ともに死ぬ必要があった...

両者が命を燃やすことで「麒麟」がやってくる...

 

光秀がこの世からいなくなるその瞬間に「麒麟」が訪れるのではないかなと個人的には思います。

たとえ明智光秀がいなくなったとしても、彼の思想や世の中から戦さをなくしたいという志は、たとえば門脇麦さん演じる駒のような一庶民の心に強く遺ると思います。

 

 

麒麟」はまだ来ていない

 

麒麟」がこないまま大河ドラマが終わるというのもありかなと個人的には思います。

ドラマタイトルが『麒麟がくる』なのでものすごく矛盾を感じますが。

 

明智光秀の死後、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げ一時的な平和が訪れます。

そして秀吉の死後、関ヶ原の戦いが起こり、一時的に混乱に陥りますが、徳川家康が幕府を開いたことをきっかけに再び平和が訪れます。

ですが、長い平和のあと、また戦乱の時代が訪れますよね。

幕末期の京都は無法地帯だったと聞きます。

明治期、また平和になったようにも思えます。

ですがこれまたやはり一時的で、その数十年後には太平洋戦争が起こります。

 

その後も朝鮮戦争ベトナム戦争湾岸戦争と続き、2001年にはアメリカで世界同時多発テロが起こります。

 

全然、世の中が平らかになっていないんですよね。

 

現代社会において日本国内だけ戦争がなければそれでいいとは思えませんし、日本国内でも差別や偏見などが蔓延していて、とても「麒麟」がきてくれているようには思えません。

 

司馬遼太郎は自身の著書で度々、太平洋戦争について触れています。

 

なぜ日本の陸軍は暴走し太平洋戦争が勃発したのか。

なぜ世界大戦が起こってしまったのか。

 

それを知るために司馬遼太郎は歴史について徹底的に調べ、歴史について多くの作品を執筆されたのだと思います。

 

なぜ未だに世界から戦争がなくならないのか。

そう考えると本当はまだ「麒麟」が訪れたことは一度もないのではないかと思ったりもするのです。

 

 

 

長々と持論を展開してきました。

拙い文章で申し訳ありません。

 

麒麟がくる』を楽しみつつも、人々が平和に暮らしていくために明智光秀が遺してくれたものや『麒麟がくる』の製作者の方々に想いを馳せたいと思います。

 

 

 

スポンサードリンク