この記事は2000字程度です。
おはようございます。
日本史の授業中、庶民の暮らしや敗者のほうが気になってしまっていたふくです。
最後の将軍徳川慶喜は大政奉還のあとどうなったのかとか気にしていましたね。
趣味で写真を撮っていたらしい…!!
その数年後、妹のこふくもまた同じように日本史を学習するわけですが、妹は日本史にはあまり興味がないようすでした。
そんなこふくが唯一強い関心を持った人物、その人こそが伊能忠敬(いのうただたか)でした。
今になって知りたいと思ったきっかけ
伊能忠敬は日本地図を作った人です。
50歳を過ぎてから本格的に天文学などについて学び、日本地図を作ったとされています。
こんなにすごい人やのに、教科書にはなんでこんなちょびっとしか書いてないん?!
もっといっぱい書くべきや!!
2ページくらい使ったほうがいい!!
…当時の妹こふくはなぜかこの日だけ大変ご立腹で、普段は開きもしない歴史の教科書を開いて、熱弁をふるっていました。
ほら見て!
こんなちっちゃい!
こんだけしか書かれてない!
すごい人やのに!
伊能忠敬!!
そんな妹こふくも今では立派な一児の母です。
ふく伯母はかわいい姪にも伊能忠敬のことを好きになってもらいたいと思いました。
姪はまだ字も書けないのですが…(笑)
準備が早すぎる気もしますが、遅いよりは早いほうがいいと思うので、先日思い立って図書館で伊能忠敬の伝記を借りてきました。
知識不足なので児童書を借りてきました…(苦笑
伊能忠敬から学ぶべき生きかた
姪に聞かれたときなどに、ちょっと説明できたらいいなぁ…とか、姪もママみたいに伊能忠敬を気に入ったら一緒に共感できたらいいなぁ…という軽い気持ちで読み進めていたのですが…
最後のほうは号泣しながら読んでいました…!!
伊能忠敬、すごい…!!
わたしもこんな人になりたい…!!
伊能忠敬のどのような点が私たちふく姉妹に興奮と感動をもたらしたのでしょうか?
年下の先生でも気にしない
50歳から本格的に学び始める伊能忠敬は、19歳年下の高橋至時(たかはしよしとき)の弟子になります。
19歳年下…!!
ですが、伊能忠敬は年齢を気にせず、19歳年下の高橋至時先生を慕って、一生懸命学びます。
年下の人を前にすると、説教くさくなってしまう人たちもたくさんいるにもかかわらず、伊能忠敬は謙虚な方だなと思います。
伊能忠敬のように、年下の方からも学ぼうという気持ちを持ち続ければ、人は死ぬまで成長し続けることができるかもしれないと思いました。
厳しい環境下にいても…
伊能忠敬は50歳を過ぎてから本格的に学び始めたと言われていますが、それまでのあいだ全く勉強していなかったわけではありません。
幼い頃から好奇心が旺盛だったようで、スキマ時間を見つけては本を読んでいたそうです。
伊能忠敬は50歳まで本格的に勉強しなかったのではなく、50歳まで本格的に勉強することができなかったのです。
学問で功績を残すには不利な境遇だったのですが、それでも幼い頃からずっと本を読み続けていたようですね。
実現したい夢からほど遠い環境下であっても、そのときできることを少しずつ継続していると実を結ぶかもしれません。
たしかに劣悪な環境下にいれば、人は希望を失い、向上心や向学心を保てなくなります。
保てるほうが珍しいのです。
かくいう私も、オーケストラはあえて聴かないようにしていました。
オーケストラを聴いてしまうときっと演奏したくなる、そしたら家計に負担がかかると思ったからです。
ところが、大学生になると、チェロを演奏できる機会に恵まれました。
学生オーケストラですね。
ずっとずっと弾いてみたかったので、うれしくてうれしくて毎日練習しました。
ですが、後悔もしました。
こんな機会に恵まれることがわかっていたら、もっとオーケストラを聴いていたのに…
チェロを始めたころのわたしは、交響曲を一度も聴いたことがなかったと思います。
部分的には聴いたことがあるとは思いますが、通して聴いたり、この作曲家が好きだという気持ちもなかったです。
あまりにも無知でした。
もしこれが伊能忠敬だったら、きっとオーケストラを聴く機会があればきっと逃さず聴いていたと思いますし、図書館で楽器について勉強したりしていたかもしれませんね。
ありきたりな言葉ですが…
過去は変えられませんが、未来は変えられます。
もしも絶好の機会に恵まれたときに、そのチャンスを最大限生かせる、伊能忠敬のような生きかたをしたいと思っています。
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