このブログは1800字程度です。
おはようございます。
今日もほどほどにがんばろうと思うふくです。
月曜日は不登校と向き合うと決めています。
過去の自分自身のためにも…。
元気がなくなって続けられなくなったらごめんなさい。
今回は不登校になったその先を生きるわたしだからこそ見つけられたささやかな希望をお届けしたいと思います。
では、早速参りましょう。
不登校川柳です。
どうぞ。
進学後
黒、分かち合う
青い日々
中学3年生のときに不登校になってしまいました。
詳しくはこちらのブログの前半部分をご覧ください。
【ゆとり世代というだけで馬鹿にされるのはいやすぎる!】早朝ブログ休みます?! - 発達障害者ふくの徒然草
たった数週間とはいえ、高校入試も控えていたので、不安しかなかったです。
なんやかんやで希望の高校に進学できたのですが、そのあとも同じ歳の人たちとコミュニケーションをとるのが久しぶりだったので、ぎくしゃくしてしまいました。
しばらくは不安が続きましたね。
ですが、2年生になった頃からでしょうか。
先生や友人に恵まれ、徐々に落ち着いてきました。
そして、数少ない貴重な友人と3人でスイーツを食べに行きました。
青春ですね!
甘いものを食べながら、楽しくおしゃべりをしていたのですが、気づけば過去の話になっていました。
中学のときはクラスで浮いていたから、今こうやって友だちとおいしいものが食べれて幸せ…
と言いました。
たぶん私が…。
そのあたりの記憶があいまいです。
すると、友だちが言いました。
わたしもそうだった。
中学のときは辛かった…。
わたしも…。
みんな仲間だったの?!
…と少し驚いたのを覚えています。
とても優しい子たちだったので。
お互い多くは語りませんでしたが、ぽつりぽつりといわゆる黒歴史のようなものを話しました。
ですが、最後には、
でも今はこうして楽しく過ごせてよかったね!
自分と似たような過去をもつ人と出会えてよかった!
本当にがんばってよかったね!
…とみんなで笑い合っていたと思います。
志望光(しぼうこう)
今となっては
わが母校
生まれてからずっとムラ社会で生きてきて、中学校もじめじめとした雰囲気で、ずっとカースト制に悩んでいました。
当時、スクールカーストということばはなかったと思います。
そんなわたしにとって、地元からはあまり進学しない志望校に受かることが、唯一の希望だったようにも思います。
ムラから出たかったです。
志望校周辺はビジネス街で、わたしの地元とは対照的でした。
また、高校進学と同時に引っ越すことになっていたので、わたしにとってはまさに転機でした。
高校は楽しかったです。
地元から離れた高校に通って本当によかったなと思います。
不登校になってしまうと将来に対する不安が日に日に増していくと思います。
わたしもそうでした。
発達障害の診断直後に半分くらい引きこもりのような生活を送っていたときも、やはり不安でした。
週3回数時間ほどアルバイトをしていたのですが、外出はこれが限界でした。
それ以外はベッドで横になるか、じっと座っていたことが多かったように思います。
話せない。
眠れない。
動けない。
…そんな日もありました。
ですが、きっかけがあれば、また元気に過ごせる日がやってくると思います。
わたしの場合は、受験や資格試験に合格したことがターニングポイントになることが多いです。
ちなみに先ほどの半引きこもり生活を脱したきっかけは大学の再受験です。
詳しくはこちらのブログをご覧ください。
【浪人と再受験の最果て】友人紹介3 - 発達障害者ふくの徒然草
職場を辞めた直後もほぼ引きこもり生活が続いたのですが、そのときはパンシェルジュ検定の勉強という建前でパン屋さん巡りをしました。
実はパンシェルジュ検定2級を持っています(笑)
履歴書に書いてもなんともならない資格かもしれませんが、それでも合格というのは晴れ晴れとした気持ちになります。
不登校や引きこもり生活が続くと、なかなか前向きにはならないかもしれませんが、なんでもいいので好きなことに挑戦してみてください。
意外なかたちで将来あなたを元気づけてくれるかもしれません。
わたしは今、ブログの収益化と合理的配慮のある職場探しに挑戦中です。
このブログを読んでくださった方々の未来に、優しい光が差し込むことを願っています。
あっでも…
パンシェルジュ検定は太ります(笑)
個人的見解です。
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