この記事は2200字程度です。
おはようございます。
スティッチとベイマックスに不思議な親近感を覚える発達障害者ふくです。
『ファインディング・ドリー』は、開始5分で顔がつぶれるくらい泣きます。
『ファインディング・ドリー』の冒頭で、頭痛が起きるレベルで泣いてしまうのはADHDあるあるだと思っています。
注意)個人的見解です。
ドリーに自分自身を重ね合わせるADHD当事者さんはわりといらっしゃいますね。
この方もそのうちの一人ではないでしょうか。
栗原類さん
お誕生日おめでとうございます。
栗原類さんの勇気ある発信が、多くの発達障害関係者を救っていることと思います。
わたしもそのうちの1人です。
そんな栗原類さんと著書『発達障害者の僕が輝ける場所をみつけられた理由』の魅力をお伝えしたいと思います。
当事者の視点を伝え続ける勇気
モデルや俳優としてご活躍されている栗原類さんが、ご自身の発達障害を公表されたのは、2015年でした。
2015年にNHKの番組「あさイチ」でADDだと告白したとき、様々な方から「告白してくれてありがとう」というメッセージをいただきました。
『発達障害者の僕が輝ける場所をみつけられた理由』p.3より引用
ADDは日本では注意欠陥障害と訳されています。
この他にも発達障害者ならではのエピソードも著書に書かれています。
共感できる部分も多く、このブログを書くときに改めてページをめくって読んでみたのですが、やはり涙腺が緩んでしまいます。
何よりも、ご自身が失恋された経験やいじめの経験について詳細に書かれていることにおどろきます。
失恋した経験などは恥ずかしくて、わたしはとても書けません。
今後書けたら書くかもしれません。
著書の中で、それらの経験を振り返りながら、ご自身の特性と関連づけて、よりよい生活を送れるように自分なりに対策を講じていらっしゃいます。
発達障害当事者の方が実体験を詳細に分析してくださるリアルな情報は、わたしにとって本当にありがたいです。
栗原類さんが体験した日米の学校のちがい
これは栗原類さんのお母さまの英断のように私は感じました。
類を出産する前、私はニューヨークに4年、ロンドンに1年暮らしていました。当時、感じたのは、アメリカもイギリスも小さい子どもに寛容な社会なんだなということです。
『発達障害者の僕が輝ける場所をみつけられた理由』p.88より引用
この他にも、
- 類さんに帰国子女枠で高校を受験させたい
- 英語が話せれば英会話講師などでなんとか食いつなげるようにと考えて…
などの理由で、数年間ニューヨークで暮らすことにされたそうです。
それゆえに類さんは大変な思いをされた部分もあると思います。
障害の有無にかかわらず、幼少期に言語を2つ使わなければならない生活は、少なからず脳に負担がかかってしまうようです。
ですが、いじめや発達障害への日米の対応のちがいを体験された類さんは、その分、自分自身や日本社会を客観的に捉えることができるようになったかもしれません。
個人的には当時のニューヨーク州の小学校に留年制度があったということにおどろきました。
栗原類さんの著書のみで日米教育の比較をするのは無理があるなと思つつこのブログを書いています。ご了承ください。
又吉直樹さんとの写真
又吉直樹さんは、
待ってくれる人
だなと個人的には思います。
わたしも栗原類さんと似ているところがあって、頭の中がぐちゃっとなってしまうときがあります。
栗原類さんの密着番組でそのような姿を拝見しました。
わたしにそっくりだなと思いました。
そんなときに周りに急かされてしまうと余計に頭の中がぐちゃっとなります。
又吉直樹さんは、テレビで拝見する限りですが、あまり人を急かす方のようには見えません。
ご自身のペースを大切にしつつ、相手のペースも尊重する…
このような印象がわたしにはありますね。
『発達障害者の僕が輝ける場所をみつけられた理由』p.223に、又吉直樹さんと栗原類さんのツーショット写真が掲載されています。
とても心地のいい写真だなと思います。
栗原類さんがのびのびとされています。
又吉直樹さんは、そんな栗原類さんに対して、微笑むわけでもなく、困惑するわけでもなく、ぽつんと立っていらっしゃいます。
でも、その写真から、又吉直樹さんの世界観と栗原類さんの世界観、2つの世界観が共生していることを感じます。
この写真こそが、
多様性のある社会
かもしれないと思います。
栗原類さんは1994年生まれで、まだお若いです。
今後のご活躍を楽しみにしています。
発達障害に関する発信も、ご自身のペースで無理なくしていただければ、とてもありがたく思います。
そして、わたしも栗原類さんのように、発達障害特性ゆえの独特の感じかたや他者との関わりかたについて、一当事者として情報発信できたらと思っています。
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