発達障害者ふくの徒然草

発達障害者であるふくの個人的な障害特性に伴う困り感やそれに対してどうアプローチして緩和させているかを徒然なるままに書き留めています。

【早朝川柳4 月曜日の朝だから不登校川柳】早朝ブログ30

 

おはようございます。

 

不登校児なので月曜日はとてもきらいなふくです。

 

googleサーチコンソールをよく見るようになったのですが…

 

【本当は学校に行きたくない】と検索している方

【体育 公開処刑】と検索してこのブログにたどり着いた方

 

がちらほらいるようです。

 

【体育の授業は公開処刑の場?】発達障害と学校3 - 発達障害者ふくの徒然草

 

検索した人を特定することは絶対にできませんので、ご心配なく!

 

検索された方々はその後、どのように生活されているのでしょうか。

 

心配です。

 

何か私にできることはないだろうか?

…と考えに考え、不登校川柳を詠んでみることにしました。

 

今回の川柳は、さわやかさが全くありません。

ですが、不登校のお子さんや学校に行くのがつらい生徒さんの毎朝に、少しでも想いをはせていただければ幸いです。

 

 

それでは…

 

不登校川柳

 

をご覧ください。

 

 

 

学校は

社会を真似て

カースト

 

たまごが先かにわとりが先か…

スクールカーストに関しては、にわとりが先だと思います。

 

つまり…

 

大人たちの作り上げた社会がすでにカースト制度だからスクールカーストが生まれたと個人的には思います。

 

日本の大人たちが改心しない限り、スクールカーストは存在し続けます。

 

 

都合よく

忘れてしまう

いじめ加害

 

自分が被害に遭ったことはよく覚えているものです。

 

ですが、自分の胸に手を当てて、よく考えてみてください。

 

あなたは本当に生涯でたったの一度もいじめに加担したことがありませんか?

 

わたしはいじめの傍観者になったことが何度もあります。

わたしはこのときの自分をいじめに加担していると分類します。

いじめのターゲットが数週間で変わる時期もありました。

 

いじめのターゲットにならないために…

いじめの被害者にならないために…

 

必死だったと思います。

 

当時の自分を糾弾するつもりはありません。

 

いじめの傍観者もまた、つらいものです。

いじめの傍観者になると、自分の無力さを感じる日々を過ごすことになります。

 

ですが…

 

いじめの傍観者だった自分を正当化したり、

仕方がなかったと弁解したり、

なかったこととして記憶から消してしまったり…

 

そういうこともしたくありません。

 

まずは大人になった私たちから反省しないと、子どものいじめは減らないと思います。

 

まずは大人になった私たちが過去を振り返って、自分は本当に今までいじめに関与したことがないのかをじっくり考え直す必要があると思います。

 

 

登校を

うながす大人

ない居場所

 

 

ゆたぼんくんが話題になったとき、反論していた大人たちは、どこか他人事でした。

客観的な意見を言ったまでだと自惚れるなら、それはそれでいいと思います。

わたしとは考え方がちがうのでさようなら。

 

学校へ行くべきだ。

親は何をしているんだ。

学校じゃなくてもいいからフリースクールなどの集団生活を学べる場へ行くべきだ。

ゆたぼんは学校へ行く子どもたちをロボットと表現して馬鹿にしているのでは?

 

我が事として捉えていない大人たちが、うじゃうじゃ沸いて出てきました。

 

ゆたぼんくんに反論する大人たちは、不登校の子どもたちが充実した毎日を送れるように、何かアクションを起こしているのでしょうか?

 

地域の子どもたちにとって住みよい街づくりについて真剣に考え行動したことはありますか?

あなたの地域にフリースクールはありますか?またそれらのフリースクールはどこにありますか?

自分の子どもがスクールカーストについてどんな風に感じているのか親子でじっくり話し合ったことはありますか?

 

 

正論を言うだけの大人に囲まれていては、子どもたちは自分の居場所をどんどん失っていくだけです。

 

不登校のお子さんが、

 

自分自身の価値観をじっくり構築しよう

自分の居場所を作ろう

 

と試行錯誤しているときに、学校へ行けと言うだけの大人は邪魔だと思います。

 

自分の居場所はSNSYouTube,インターネットでもいいと思います。

私はブログを書くようになってから、インターネットで言葉の意味を調べることが圧倒的に増えました。

辞書を買おうか悩んでいます。

ブログを書くだけでもたくさんの学びがあります。

 

じゃあ不登校の子どもがいつまでも学校へ行けなくてもいいのか?

最終的に社会に出られなくなったらどうするんだ?!

 

…という反論が返ってきそうです。

 

それは一理あるなと思います。

私も不登校についてどうアプローチしていいのかわかりません。

子どもたちがほっとできる時間をこのブログでも提供できたらいいなとは思っています。

 

不登校のお子さんへどうアプローチするかは、千差万別だと思います。

 

それぞれのお子さんにそれぞれ個別に丁寧に対応するしかないと思います。

時間がかかると思います。

 

そっとしておいたほうがいいときもあります。

登校を促したほうがいいときもあります。

登校を全力で止めなければならないときもあると思います。

タイミングや言い方など、微妙なさじ加減が難しいと思います。

 

だからこそ、

 

会ったこともない不登校のお子さんに対して、学校に行くべきだとただ正論をぶちまける大人にはなりたくないのです。

 

学校へ行くべきだと主張するにしても、そのために大人として自分は何ができるのかを現実的に考えることとセットにして主張しないと、子どもにとってはただの刃です。

 

 

 

今回の早朝ブログは早朝のさわやかさがゼロでした。

ですが、生きづらさを感じる子どもたちの朝はさわやかではないかもしれないと思うので、あえて早朝ブログにしてみました。

 

子どもたちの声をじっくり丁寧に傾聴できる大人になりたいと思っています。

 

 

 

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